川原湯温泉
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川原湯温泉 | |
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王湯 | |
温泉情報 | |
交通 | 鉄道:東日本旅客鉄道(JR東日本)吾妻線川原湯温泉駅下車徒歩約15分 |
泉質 | 含食塩石膏硫化水素泉 |
泉温(摂氏) | 79.3[1] |
宿泊施設数 | 6 |
外部リンク | 川原湯温泉観光協会 |
川原湯温泉(かわらゆおんせん)は、群馬県吾妻郡長野原町(旧・上野国)にある温泉。
泉質[編集]
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新源泉
温泉街[編集]
川原湯神社 ●八ッ場ダムの建設により、元々の温泉街のあった場所は、ダムにより形成された八ッ場あがつま湖︵ダム湖︶に水没した。そのため、旧温泉街より南側の高台に旅館などを移転して新温泉街を造成し、湖畔の温泉として変貌している。 ●源泉は、旧来より存在する自然湧出泉をダム建設に伴いコンクリート井筒で保護・ポンプ揚水させた﹁元の湯﹂と、新温泉地にボーリング掘削で掘り当てられた﹁新湯﹂がある。 ●旧温泉街の共同浴場は2014年︵平成26年︶6月30日の﹁王湯﹂の閉館をもって全て閉鎖され[2]、﹁王湯﹂は翌月5日より高台にある新源泉のもと王湯会館として営業を再開した[3]。新源泉は高温のため、源泉にて温泉卵を作る光景がよく見られる。また、新源泉の近くでは足湯が楽しめるようになっている。新温泉街[編集]
●吾妻川の南側の高台に位置。旅館が6軒、飲食施設が3軒存在する[4]。 ●共同浴場は﹁王湯﹂のみ存在する。旧温泉街[編集]
●吾妻川の谷間の上部に位置し、道路沿いに数軒の旅館がひしめく様に存在した。 ●共同浴場は﹁王湯﹂﹁笹湯﹂、混浴の﹁聖天様露天風呂﹂が存在した。旧温泉街入口(2009年) -
旧王湯(2007年)
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高山旅館前(2009年)
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聖天様露天風呂(2005年撮影、2013年閉鎖)
湯かけ祭り[編集]
湯かけ祭り ●温泉街で行われる祭で、奇祭とも言われる。源頼朝が温泉を発見︵後述︶してから400年ほど経った頃、突然温泉が枯渇した。村人が湯元に様子を見に行くとゆで卵の臭いがしたので、鶏を生贄に祈願したところ湯が再び湧き、それを祝って湯を掛け合ったのが始まりとされる[5]。 ●毎年1月20日の大寒の未明に行われ、褌を紅白の色で区別し、2手に分かれ褌一丁で﹁お祝いだ、お祝いだ﹂と叫びながら、お湯を掛け合う。最後に鶏の入ったくす玉が割れ、鶏を捕まえた者は運が良いとされる。ちなみに﹁お祝いだ﹂の掛け声は﹁お湯湧いた﹂から変化したと言われている。 ●2019年、朝日新聞社は、1940年頃に子ども向けに作製した映像ニュース﹁アサヒホームグラフ﹂に、当時のゆかけ祭りの映像が残っていたとして公開した[6]。歴史[編集]
1193年︵建久4年︶に、源頼朝が狩をしている最中に発見したとされる。共同浴場の﹁王湯﹂にはそれに因んで源氏の家紋︵笹竜胆︻ササリンドウ︼︶が掲げられている。八ッ場ダム建設問題[編集]
八ッ場ダム#現状を参照。アクセス[編集]
●鉄道‥東日本旅客鉄道︵JR東日本︶吾妻線川原湯温泉駅下車徒歩約15分。脚注[編集]
(一)^ 山木館 (二)^ “王湯会館あす終了 高台で来月再開。”. 読売新聞. (2014年6月29日) 2014年6月30日閲覧。 (三)^ “八ツ場ダムで水没の温泉、高台で再開 川原湯のシンボル﹁王湯﹂”. MSN産経ニュース. (2014年7月5日) 2014年7月5日閲覧。 (四)^ 川原湯温泉協会 - 宿・食事処 (五)^ 湯かけまつりの由来 - 川原湯温泉協会︵更新日不明/2017年3月3日閲覧︶ (六)^ “ダムに沈む温泉街に響く歓声 湯かけ祭り、80年前の姿” (2019年3月2日). 2019年3月2日閲覧。関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 川原湯温泉協会
- 川原湯温泉協会 (kawarayu) - Facebook
- 【1940アーカイブ】群馬・川原湯温泉の湯かけ祭り - YouTube(朝日新聞社提供、2019年2月17日公開)