市村羽左衛門 (8代目)
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八代目 市村羽左衛門︵はちだいめ いちむら うざえもん、元禄11年︿1698年﹀ - 宝暦12年5月7日︿1762年6月28日﹀︶とは、江戸時代中期の歌舞伎役者、市村座の座元。屋号は菊屋、俳名は可江。雅号は橘中庵。
来歴[編集]
芝居茶屋主人菊屋善兵衛の三男として江戸に生まれる。母が五代目市村宇左衛門の姉。元禄16年︵1703年︶、父を後見人として5歳で四代目市村竹之丞を襲名し、市村座の座元となる。その二年後、宝永2年︵1705年︶正月興行の﹃万歳田村丸﹄の天童子で初舞台を踏む。その後、座元と役者を兼ね江戸の芝居に重きをなすようになる。元文2年︵1737年︶、将軍家の若君竹千代の名を憚って﹁市村宇左衛門﹂と改名。寛延元年︵1748年︶さらに名を﹁羽左衛門﹂と改める。以後市村座の座元は﹁羽左衛門﹂を代々名乗る。宝暦11年8月以降、舞台には出なくなり翌年死去。享年65、墓所は東京都江戸川区の大雲寺。ほかに江東区の自性院にも供養塔がある。 座元を60年間勤める傍ら、舞台でも若衆、女形、実事、敵役など幅広い役柄をこなした。子に九代目市村羽左衛門、三代目坂東彦三郎がいる。なお八代目羽左衛門ゆかりの名所として、﹁曽我御霊社奉寄進石宝殿﹂があり、これは春の江戸の芝居に必ず取り上げられた﹁曽我物﹂の人物曽我兄弟を供養するため、八代目が駒込富士神社︵東京都文京区本駒込五丁目︶に寄進したものである[1]。脚注[編集]
- ^ 以上、『歌舞伎人名事典』(新訂増補)123頁参照。
参考文献[編集]
- 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年 ※123頁