平井晩村
平井晩村︵ひらい ばんそん 1884年︵明治17年︶5月13日 - 1919年9月2日︶は、明治時代の日本の詩人・小説家。民謡詩人として多くの作品を残した。群馬県前橋市出身。本名は駒次郎。
経歴[編集]
1884年︵明治17年︶5月13日、前橋本町︵現在の前橋市本町二丁目︶に生まれる。父仙太郎は晩村が3歳の時亡くなり、祖父母の手で育てられる。桃井尋常小学校から群馬県立前橋中学校︵現・群馬県立前橋高等学校︶に進学するがストライキに参加したのをきっかけに中退。早稲田大学高等師範部︵現・早稲田大学教育学部︶国語漢文科に入学後、﹃文庫﹄﹃新声﹄などに叙情詩、民謡などを発表。1903年︵明治36年︶、金子薫園の白菊会に参加し、土岐善麿、田波御白、吉植庄亮らと相知る。1906年︵明治39年︶早稲田大学を卒業し報知新聞の記者となると﹃明治三大探偵実話﹄﹃風雲回顧録﹄などの小説を執筆。﹁少年倶楽部﹂﹁日本少年﹂などに少年小説を、﹁武侠世界﹂﹁面白倶楽部﹂などに歴史小説を発表した[1]。 1915年︵大正4年︶9月に国民書院から第一詩集 ﹃野葡萄﹄を出版。1917年︵大正6年︶に叶九隻と﹁白瓶社﹂を創立、俳句・民謡の雑誌﹃ハクヘイ﹄を創刊して多数の民謡を残した。1918年︵大正8年︶には民謡﹁草津節﹂の原型となるものを作詞した[2]。 1919年︵大正8年︶9月2日、結核により35歳で死亡。晩村死去の直後、玄文社から第二詩集﹃麦笛﹄が刊行される。 墓所は前橋市嶺町の嶺霊園。主な作品[編集]
- 「風雲回顧録」(小説)
- 「明治三大探偵実話」(小説)
- 「国定忠治」(小説)
- 「野葡萄」(詩集)
- 「麦笛」(詩集)
- 群馬県立前橋高等学校校歌
関連文献[編集]
- 「平井晩村の作品と生涯」平井芳夫編著(1973)煥乎堂
- 「平井晩村の詩謡」平井芳夫編著(1947)中央文化社