平山誠敏
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平山 誠敏 ひらやま まさとし | |
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生年月日 | 1940年7月9日 |
出生地 | 青森県五所川原市 |
没年月日 | 2018年8月14日(78歳没) |
死没地 | 青森県五所川原市 |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 旭日小綬章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2006年7月9日 - 2018年7月8日 |
選挙区 | 五所川原市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1999年4月30日 - 2006年 |
平山 誠敏︵ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 2018年8月14日[1]︶は、日本の政治家。青森県五所川原市長︵3期︶。元・青森県議会議員︵2期︶。
来歴[編集]
青森県五所川原市出身[2]。青森県立弘前高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 1999年︵平成11年︶4月30日、青森県議会議員となる。2003年︵平成15年︶、再選。 2006年︵平成18年︶5月27日、五所川原市長の成田守が健康上の理由により辞職。これに伴って7月9日に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて立候補。前市議の前田清勝、﹁羽柴誠三秀吉﹂や﹁羽柴秀吉﹂名義の政治活動で知られる三上誠三らを破り初当選した︵平山‥21,174票、前田‥12,713票、三上‥1,415票︶。同日、市長に就任[3]。 2010年︵平成22年︶の市長選では、自民党の元県議・櫛引ユキ子との争いを僅差でかわし再選︵平山‥19,817票、櫛引‥18,516票︶。2014年︵平成26年︶、無投票で3期目の当選[4]。 2018年︵平成30年︶4月21日、任期満了に伴う市長選挙︵6月17日告示、24日投開票︶への立候補を取りやめると発表した。会見に同席した長男の平山敦士が後継候補として市長選に立候補する意向を示した[5][6]。平山敦士は自民党と公明党の推薦を受けるも、6月24日の市長選では元タクシー会社社長の佐々木孝昌に敗れた[7]。 同年8月14日、左腎盂がんのため、五所川原市のつがる総合病院で死去[1]。78歳没。叙正五位、旭日小綬章追贈[8]。脚注[編集]
(一)^ ab“平山前五所川原市長が死去/がんで闘病”. 東奥日報. (2018年8月14日) 2018年8月15日閲覧。
(二)^ なお五所川原市︵旧制︶が成立したのは平山が生まれてから14年後の1954年︵昭和29年︶10月1日のことである。五所川原町、栄村、中川村、三好村、長橋村、松島村、飯詰村の1町・6村が合併してできた。
(三)^ 青森県 - 市町村長及び議会議員の任期満了調
(四)^ 五所川原市長選挙(2014/06/29投票)結果 | 選挙ドットコム
(五)^ “平山氏出馬撤回、後継は長男/五所川原市長選”. 東奥日報. (2018年4月21日) 2018年4月23日閲覧。
(六)^ “五所川原市長選 子育て支援など平山氏が公約 /青森”. 毎日新聞. (2018年5月9日) 2018年5月9日閲覧。
(七)^ “新人佐々木氏が競り勝つ/五所川原市長選”. 東奥日報. (2018年6月25日) 2018年6月25日閲覧。
(八)^ ﹁叙位叙勲﹂﹃読売新聞﹄218年9月12日朝刊