徳田八十吉
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徳田 八十吉︵とくだ やそきち︶は九谷焼の陶工の名前である。
初代[編集]
初代徳田八十吉︵1873年11月20日 - 1956年2月20日︶は、吉田屋窯風の作風を得意とした。号は鬼仏。指導者として浅蔵五十吉、二代目、三代目徳田八十吉等を育てる。二代目[編集]
二代目徳田八十吉︵1907年11月1日 - 1997年9月8日︶は、1923年に初代の養子となり師事する。1956年、二代目徳田八十吉を襲名。九谷焼の近代化を推進した[1]。1988年、八十吉の名を長男に譲り百々吉を名乗る。初期の号は魁星。三代目[編集]
三代目徳田八十吉︵1933年9月14日 - 2009年8月26日[2] ︶ 初代の孫として生まれる。初名は正彦[3]。金沢美術工芸大学短期大学工芸科陶磁専攻中退後に、初代、二代目等に師事。1988年に三代目を襲名。1991年には第11回日本陶芸展で、大賞・秩父宮賜杯を受賞した。1997年6月6日、重要無形文化財﹁彩釉磁器﹂の保持者︵人間国宝︶に認定される[1]。釉薬で色彩を調整した鮮やかな群青色に強い個性がある。海外にも多くの作品を発表して高い評価を得た[1]。また、古九谷の学術研究にも尽力した[1]。四代目[編集]
四代目徳田八十吉︵1961年 - ︶は青山学院女子短期大学卒業。三代目徳田八十吉の長女[4]。三代目の死去を受けて翌2010年襲名[5][4]。初名は順子。1984年から2年間NHK金沢放送局のキャスター。1986年から三代目八十吉の秘書や着物大使を務める。1990年に石川県九谷焼技術研修所を卒業。2010年3月2日に小松市役所の戸籍変更の手続きを行い、四代目徳田八十吉に襲名した[6]。