慶頼王
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慶頼王 | |
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皇太孫 | |
在位 | 延喜23年4月29日(923年5月22日) - 延長3年6月19日(925年7月12日) |
時代 | 平安時代前期 |
生誕 | 延喜21年11月9日(921年12月10日)[1] |
薨御 | 延長3年6月19日(925年7月12日) |
墓所 | 神楽岡西野[2] |
父母 | 父:保明親王、母:藤原仁善子 |
兄弟 | 慶頼王、煕子女王 |
慶頼王︵よしよりおう/やすよりおう︶は、皇太子保明親王の第一王子。母は藤原時平の娘・仁善子。同母妹に煕子女王がいる。父親王の薨御に伴い醍醐天皇の皇太子︵皇太孫︶に立てられたが夭逝した[3]。
慶頼王墓︵京都市左京区︶
保明親王・慶頼王の父子はともに藤原時平との血縁が深かったため、両者の相次ぐ薨去は時平の追い落とした菅原道真の祟りによるものとの風評も立った。天皇は愛孫の急死を悲しみ、勅定して末代まで皇孫の立太子を戒めたと伝えられる[4]。同年10月に2歳下の叔父寛明親王が皇太子に立つと、藤原氏の嫡流は次第に時平流から忠平流に移っていった。
墓は、神楽岡から近い京都市左京区吉田牛ノ宮町の住宅街に所在する円墳に治定され、宮内庁の管理下にある。