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●魯迅をはじめとする現代中国文学を研究し、1966年ころ始まった中国の文化大革命に対して、安藤彦太郎らとともに全面的礼讃の立場をとり、果敢な論陣を張った。しかし文革の否定面が明らかになるにつれて文革に懐疑的になり、さらに公表しない約束で提供された毛沢東の内部論文集を新島淳良編﹃毛沢東最高指示: プロレタリア文化大革命期の発言﹄︵三一書房, 1970年︶として公刊したことが中国側から批判され、1973年、責任をとって早大を辞職。
●コミューン運動に理想を見出し、ヤマギシ会に入会したが、1978年、新島はヤマギシ会を離れ、当時の妻と交わした往復書簡を﹃さらばコミューン-ある愛の記録﹄として刊行した。しかし間もなくヤマギシ会に戻り、以後同会の広告塔の役割を果たすようになる。また同会内に学校を設立することを提唱。この提唱に基づき、1985年、同会の子供が24時間の集団生活を送る私塾﹁ヤマギシズム学園﹂が設立された。同会内において新しい妻を得て、同会の村︵実顕地︶で生涯を終えた。
●中国が文革批判になってから、文革を批判するなど、過去の文革礼賛を清算しないまま文革を批判する態度には批判が多い。
●﹃中国の教育﹄東洋経済新報社, 1957
●﹃現代中国の革命認識﹄御茶の水書房, 1964
●﹃毛沢東の哲学﹄勁草書房, 1966
●﹃毛沢東の思想﹄勁草書房, 1968
●﹃プロレタリア階級文化大革命﹄青年出版社, 1968
●﹃新しき革命﹄勁草書房, 1969
●﹃毛沢東最高指示﹄三一書房, 1970
●﹃中国の論理と日本の論理﹄現代評論社, 1971
●﹃毛沢東﹄あかね書房, 1972
●﹃子どもを救え﹄無尽出版会, 1974
●﹃新人類のための育児学ノート﹄風媒社, 1976
●﹃ヤマギシズム幸福学園﹄本郷出版社, 1978
●﹃阿Qのユートピア﹄晶文社, 1978
●﹃魯迅を読む﹄晶文社, 1979
●﹃私の毛沢東﹄野草社, 1979
●﹃さらばコミューン﹄現代書林, 1980
●﹃こども時評﹄緑のふるさと通信, 1981
●﹃歴史のなかの毛沢東﹄野草社, 1982
●﹃論語﹄新地書房, 1984
- ^ 峯島正行『荒野も歩めば径になる ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界』実業之日本社 P.382