日本三大奇襲
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(日本三大夜戦から転送)
日本三大奇襲︵にほんさんだいきしゅう︶とは、戦国時代の特に有名あるいは特異奇抜な以下の3つの合戦を指す[1]。日本三大夜戦とも称されてきたが、必ずしも夜戦に該当しないものも含まれる。﹁日本三大夜戦﹂は元来、江戸時代の歴史家・頼山陽が文政12年︵1829年︶に刊行した歴史書﹃日本外史﹄で日本の歴史上、特筆すべき三つの戦いを選んで命名したもので、以来、以下の3つの戦いを言うようになった。それぞれ少数対多数の戦であったり、奇抜な作戦などによった類を見ないものである。また敗北した側がその後、著しく弱体化または滅亡した。
●河越城の戦い︵河越夜戦。天文15年4月20日︵1546年5月19日︶︶
●北条氏康 対 上杉憲政、上杉朝定、古河公方など
●結果‥北条氏康の勝利、上杉朝定の討死、古河公方の北条家への降伏・周辺大名の弱体化
●厳島の戦い︵天文24年10月1日︵1555年10月16日︶︶
●毛利元就 対 陶晴賢
●結果‥毛利元就の勝利、陶晴賢の討死・大内氏の弱体化
●桶狭間の戦い︵永禄3年5月19日︵1560年6月5日︶︶
●織田信長 対 今川義元
●結果‥織田信長の勝利、今川義元の討死・今川氏の弱体化
詳細はそれぞれのページ参照。
なお厳島の戦いの舞台となった宮島の観光協会では、厳島の戦いの代わりにおなじ瀬戸内が戦場となった鵯越の戦い︵一ノ谷の戦い。寿永3年/治承8年2月7日︵1184年3月20日︶︶を三大奇襲に挙げている[2]。