木下敬之助
木下 敬之助︵きのした けいのすけ、1944年︵昭和19年︶1月15日[1] - ︶は、日本の政治家。元大分市長、元衆議院議員。
略歴[編集]
1944年1月15日、大分県大分市で、政治家木下哲の長男[2]として生まれる。1967年︵昭和42年︶、慶應義塾大学経済学部経営学科卒[注 1]。 1979年︵昭和54年︶10月7日投票の第35回衆議院議員総選挙において大分1区︵定数4︶に民社党から出馬して初当選。以後、4期にわたり衆議院議員を務めるが、1990年︵平成2年︶2月18日投票の第39回衆議院議員総選挙では次点に敗れた。 その後、自民党などの支援を受け、1991年︵平成3年︶に大分市長に当選。2003年︵平成15年︶に引退するまで3期12年にわたって大分市長を務めた。この間、2002 FIFAワールドカップを招致する等の業績を残した。親族[編集]
元衆議院議員、大分県知事の木下郁は伯父︵父の兄[2]︶。﹃美味求真﹄でも知られる元衆議院議員、関東長官の木下謙次郎は祖父の兄にあたる。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
公職 | ||
---|---|---|
先代 佐藤益美 |
大分県大分市長 1991年 - 2003年 |
次代 釘宮磐 |