木下謙次郎
木下 謙次郎︵きのした けんじろう、明治2年2月28日︵1869年4月9日︶ - 昭和22年︵1947年︶3月28日︶は、日本の明治から昭和初期にかけての政治家。貴族院議員、衆議院議員、関東長官。美食家としても知られ、著書﹃美味求真﹄は、食通の原典として今日も名高い。
略歴[編集]
1869年︵明治2年︶に大分県宇佐郡安心院町木裳︵現在の宇佐市︶に生まれる。1892年︵明治25年︶東京法学院︵現中央大学︶卒業。政治家を志し、貴族院議員、衆議院議員として当選9回。この間、所属政党は、国民党、立憲同志会・憲政会、立憲政友会、政友本党などにめまぐるしく移り変わり、政界の策士と呼ばれた。 選挙違反事件に連座したこともあったが、1927年︵昭和2年︶の大喪の礼に伴う恩赦で赦免された[1]。 同年12月17日、、関東州の民政を統括する関東庁の長官である関東長官に就任。1929年︵昭和4年︶8月17日まで務めている。1946年︵昭和21年︶7月8日、貴族院勅選議員に任じられ[2]、交友倶楽部に所属して死去するまで在任した[3]。 1925年︵大正14年︶1月に啓成社から﹃美味求真﹄を発行。この書は日本初の食を主題にした随筆であるとされ、3月までに50版を重ねるベストセラーとなった。また、昭和初期にかけては、﹃続美味求真﹄︵1937年︶、﹃続々美味求真﹄︵1940年︶の2冊の続編も刊行された。北里柴三郎は﹃美味求真﹄に序を寄せ、木下が政界に身を投じたのは一大損失であると嘆じている。 1947年︵昭和22年︶3月28日没。行年78。墓所は港区南青山の玉窓寺。正面﹁木下氏之墓﹂。 元衆議院議員、元大分県知事の木下郁は甥。元大分市長、元衆議院議員の木下敬之助は弟の孫にあたる。栄典[編集]
- 位階
- 勲章等
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。