朴映宣
表示
朴 映宣 박영선 | |
---|---|
| |
生年月日 | 1960年1月22日(64歳) |
出生地 | 慶尚南道昌寧郡 |
出身校 |
慶熙大学校地理学 西江大学校言論大学院 |
前職 | 党最高委員 |
所属政党 |
(開かれたウリ党→) (大統合民主新党→) (民主党→) (民主統合党→) (民主党→) (新政治民主連合→) 共に民主党 |
サイン | |
公式サイト | pys21 |
第2代 中小ベンチャー企業部長官 | |
在任期間 | 2019年4月8日 - 2021年1月20日 |
大統領 | 文在寅 |
選挙区 |
(比例代表→) ソウル特別市九老区乙選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2004年5月30日 - 2020年5月29日 |
朴映宣 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 박영선 |
漢字: | 朴映宣 |
発音: | パク・ヨンソン |
ローマ字: | Park Young Sun |
朴 映宣︵パク・ヨンソン、박영선、1960年1月22日 - ︶は、大韓民国の政治家、アナウンサー。同国大手テレビ局である文化放送︵MBC︶アンカー出身。2019年4月8日より2021年1月20日まで文在寅政権で中小ベンチャー企業部長官を務め、2021年4月7日に執行されるソウル特別市長選挙に立候補している。第17〜20代国会議員︵4期︶。本貫は潘南朴氏[1]。
2011年に野党第1党であった民主党の政策委議長︵2011年5月~12月︶を務めたのを皮切りに、民主統合党、新政治民主連合と歴代の中道左派政党において党の要職を歴任している︵詳細は経歴部を参照︶。
来歴[編集]
1960年1月22日生まれで慶尚南道昌寧郡出身。首都女子高等学校、慶熙大学校を経て、1982年にMBCに入社した。ロサンゼルス特派員や報道局国際部次長、経済部長を務めた後、2004年4月に行われた第17代総選挙にてウリ党から立候補して当選を果たし、政界入りした。国会では運営委員会委員、財政経済委員会委員を、ウリ党ではスポークスマンや党議長秘書室長を務めた。2008年4月の第18代総選挙では比例区から地域区に鞍替えして再選、法制司法委員会委員や情報委員会委員を務めた他、党政策委員会[2]の主席副議長を務めた。2011年5月の中央党職者改編で、女性では初の政策委員会議長[3]に就任した[4][5]。 2011年ソウル市長補欠選挙︵呉世勲ソウル市長の辞職を理由として10月末に実施される選挙︶候補を決定するため9月25日に行われた党内予備選挙において、世論調査と党員投票のいずれでも1位となり、民主党のソウル市長候補に選出された。この結果、10月3日に行われる全野党陣営ソウル市長統合候補単一化選挙[6]にて、市民候補の朴元淳弁護士やチェ・キュヨプ民主労働党候補と野党統一候補の座を争うこととなった[7][8]。一般市民による投票では51%以上の得票を得て優位に立ったものの、世論調査とテレビ討論で朴元淳に大差をつけられ、3つの結果を総合した評価割合にて52%以上の支持を得た朴元淳に敗れた[9]。 2011年12月、民主党と市民統合党及び韓国労働組合総連盟が合同して発足した民主統合党の指導部を決める選挙に出馬、26日の予備選挙で本選候補の一人に選出された[10]。党員・市民選挙人団投票と2012年1月15日の全党大会で行われた代議員投票の結果、韓明淑と文盛瑾に次ぐ3位となり最高委員に選出された[11]。しかし、2012年4月に予定されている第19代総選挙における旧態依然とした候補者公薦結果が国民の失望を招いたとして、3月21日に党最高委員の職を辞することを表明した[12]。 第19代総選挙で3選を果たした後の第19代国会では女性では初めてとなる法制司法委員会の委員長に就任。総選挙後の6月に発足した李海瓚代表を中心とする党指導部が総辞退した事に因り、2013年5月に行われた全党大会党指導部選挙では有力候補の一人と目されていたが、2月に不出馬を宣言した[13]。 2014年5月、新政治民主連合︵同年3月に民主党と新政治連合が合同して結成された政党。略称﹁新政治連合﹂︶の新しい院内代表を決める選挙に出馬、決選投票にて国会議員128名中69名の支持を得て当選を果たした[14]。同年7月31日、前日30日の国会議員再補選で新政治連合が惨敗して金ハンギル・安哲秀共同代表以下、党指導部が総退陣したことを受け、代表職務代行に就任した[15]。続く8月4日の議員総会で非常対策委員長︵臨時党首︶に選出され、再補選で惨敗した党の立て直しに取り組むことになった[16]。 しかし、セウォル号特別法制定をめぐる与党・セヌリ党との交渉過程で遺族や党の意思が充分に反映されなかったこと、後任の非常対策委員長に2012年大統領選挙で朴槿恵大統領の選挙対策委員を務めた大学教授を起用する意向を示したことに党内の一部から強い反発と委員長辞任を求める声が挙がった。これに反発した朴映宣は委員長辞任と離党を示唆する事態になった[17]が、重鎮議員などの要求を受け入れる形で離党の意向については撤回し、委員長は辞任する意向を示した[18]。院内代表については後任の非常対策委員が選出されたことや、セウォル号特別法制定について与野党合意が成立したことを受け、10月2日に辞任した[19]。 2019年4月8日、国会にて聴聞会の報告書が採択されないまま、文在寅大統領が任命を強行し中小ベンチャー企業部長官に就任した[20]。 2021年1月20日には統一補欠選挙のソウル特別市長選挙へ立候補するため中小ベンチャー企業部長官を辞任すると表明し[21]、同日中に行われた内閣改造で退任した[22]。同年3月1日、党内で行われた候補者選出の選挙で禹相虎を破り、共に民主党の候補者に選出された[23]。 ソウル市長選が迫る中、国際弁護士である夫が日本で活動するための住居として所有していた東京・赤坂のマンションが、実際には直近8年間は賃貸にしていたことが発覚し大問題となった[24]。また、夫は東京のマンションに加えて、日本企業の日本航空︵JAL︶の株式にも投資しており、日本車を保有している[24][25]。野党・国民の力の議員からは﹁3000ウォン︵約290円︶の日本製の缶ビールを飲んで、1万ウォン︵約960円︶の日本ブランドのTシャツを着ると親日だという与党の市長候補者が東京に靖国神社ビューのマンションを所有しているなんて、それこそ土着倭寇︵日本に協力した親日そのもの︶ではないか﹂と猛攻撃された[26]。市長選挙では得票率39.18%にとどまり、57.50%を獲得した呉世勲に敗れた[27]。経歴[編集]
●生年月日‥1960年1月22日 ●出身地‥慶尚南道昌寧郡 ●学歴 ●1978年‥首都女子高等学校卒 ●1982年‥慶熙大学校地理学学士 ●1999年‥西江大学校言論大学院修士 ●経歴 ●1982以前‥韓国放送公社︵KBS︶アナウンサー ●1982年‥MBC入社 ●1983年‥MBC報道局記者、アンカー ●1995年~1997年‥MBCロサンゼルス特派員 ●1998年‥MBC報道局国際部次長 ●2000年~2002年‥慶熙大学校言論情報大學院兼任教授 ●2003年‥MBC報道局経済部部長 ●2004年4月‥第17代総選挙。ウリ党比例代表候補として立候補、当選。 ●2004年‥ウリ党選挙対策委員会スポークスマン、ウリ党広報部代表、国会運営委員会委員。 ●2004年~2008年‥第17代国会議員︵ウリ党→大統合民主新党→統合民主党︶ ●2004年~2009年‥国会財政経済委員会委員 ●2005年~2009年‥国会女性委員会委員 ●2005年‥ウリ党議長秘書室長 ●2007年‥ウリ党院内副代表 ●2008年4月‥第18代総選挙。民主党九老区乙選挙区候補として立候補、再選。 ●2008年4月‥統合民主党最高委員 ●2008年~2012年‥第18代国会議員︵統合民主党→民主党→民主統合党︶。法制司法委員会委員、情報委員会幹事。 ●2008年~2009年‥民主党政策委員会首席副議長 ●2009年~‥韓日議員連盟社会文化本科副委員長︵現︶ ●2009年~‥民主党FTA︵自由貿易協定︶対策特別委員会委員長 ●2009年~‥国会韓米議員外交協議会会員︵現︶ ●2009年~‥国会韓国フランス親善協会副会長︵現︶ ●2009年~‥国会韓国コスタリカ親善協会理事︵現︶ ●2010年‥国会法制司法委員会幹事︵現︶ ●2010年‥国会情報委員会委員︵現︶ ●2010年‥国会司法改革特別委員会委員 ●2010年‥国会天安号特別委員会委員 ●2010年‥国務総理候補金台鎬人事聴聞特別委員会 ●2010年‥民主党民間人査察特別委員会委員長︵現︶ ●2011年5月23日~12月16日‥民主党政策委議長 ●2012年1月15日~3月21日‥民主統合党最高委員 ●2012年4月‥第19代総選挙。民主統合党候補として九老区乙から立候補、3選。 ●2012年~2016年‥第19代国会議員︵民主統合党→民主党→新政治民主連合→共に民主党︶。 ●2012年~‥法制司法委員会委員長︵前半期︶ ●2014年5月8日~10月2日‥新政治民主連合院内代表 ●2014年8月4日~9月18日‥新政治民主連合非常対策委員会委員長 ●2016年4月‥第20代総選挙。主候補として九老区乙から立候補、4選。 ●2016年~2020年‥第20代国会議員︵共に民主党︶。 ●2019年4月8日~2021年1月20日‥中小ベンチャー企業部長官 出典‥ネイバー人物検索、朴映宣ホームページプロフィール。この節の加筆が望まれています。 |
脚注[編集]
(一)^ “이방원 최측근 후손, 서울 요지 빌딩두채 수백억”. www.skyedaily.com (2017年1月3日). 2022年7月18日閲覧。
(二)^ 党憲で規定されている党の機関で党の政策を立案し審議するために設置されている。
(三)^ 政策委員会議長は党務を司る最高議決機関である党務委員会を構成する党務委員も兼ねており、重要ポストの一つである。
(四)^ 민주당, 정책위의장 박영선 의원 임명︵民主党政策委議長に朴映宣議員任命︶。京郷新聞2011年5月23日14時5分入力︵2011年5月25日閲覧︶
(五)^ 정책위의장 박영선︵政策委議長 朴映宣︶。民主党ホームページ︵2011年5月25日閲覧︶
(六)^ 世論調査とテレビ討論、一般市民による投票をそれぞれ行い、その結果を30%、30%、40%に配分して集計し、候補者を一人に絞る方法で行われた。
(七)^ 박영선 “무소속 후보 대부분 반짝하고 소멸”︵朴映宣“無所属候補大部分キラッと消滅︶.京郷新聞2011年9月25日22時25分最終入力
(八)^ 민주당 서울시장 후보 박영선 내달3일 박원순·최규엽과 범야권 최종경선︵民主党 ソウル市長候補朴映宣 来月3日 朴元淳・チェキュヨプと汎野圏最終競選︶.ハンギョレ9月25日19時24分入力
(九)^ “進歩陣営の統一候補決まる 無所属の朴元淳氏”. KBSワールドラジオ. (2011年10月3日) 2011年12月29日閲覧。2011年10月3日
(十)^ “民主統合党 予備選挙で指導部候補9人を選出”. KBSワールドラジオ. (2011年12月27日) 2011年12月29日閲覧。
(11)^ “野党民主統合党 初代代表の韓明淑氏選出”. KBSワールドラジオ. (2012年1月15日) 2012年1月18日閲覧。
(12)^ “박영선 "공천실망 누군가 책임져야"..최고위원 사퇴︵朴映宣“公薦失望 誰か責任取れ”。。最高委員辞退︶”. 聯合ニュース︵本国版︶. (2012年3月21日) 2012年3月21日閲覧。
(13)^ “박영선, 민주당 차기 전당대회 불출마 선언︵朴映宣、民主党次期全党大会不出馬宣言︶”. 머니투데이︵マネートゥデイ︶. (2013年2月28日) 2013年3月18日閲覧。
(14)^ “野 새 원내대표에 박영선…첫 여성사령탑 신기원︵野 新しい院内代表に朴映宣・・・初女性司令塔エポック︶”. 聨合ニュース. (2014年5月8日) 2014年5月8日閲覧。
(15)^ “박영선, 당대표 직무대행 수임…비대위 얼개 짠다︵朴映宣、党代表職務代行受任・・・非常対策委員会構成組む︶”. 聨合ニュース︵本国版︶. (2014年7月31日) 2014年7月31日閲覧。
(16)^ “새정치연합 비대위원장에 박영선…黨혁신 주도︵新政治連合非常対策委員長に朴映宣・・・党革新主導︶”. 聨合ニュース. (2014年8月4日) 2014年8月4日閲覧。
(17)^ “新政治民主連合の朴映宣委員長 辞任と離党を検討”. KBSワールドラジオ. (2014年9月15日) 2014年9月17日閲覧。
(18)^ “新政治民主連合の朴映宣院内代表 離党は撤回”. KBSワールドラジオ. (2014年9月17日) 2014年9月17日閲覧。
(19)^ “最大野党の院内代表辞任 後任選び急務=韓国”. 聨合ニュース. (2014年10月2日) 2014年10月2日閲覧。
(20)^ “︻写真︼文大統領、新任長官5人の任命強行…野党﹁不通の決定版﹂”. 中央日報. (2019年4月9日) 2019年4月9日閲覧。
(21)^ “韓国 きょうのニュース︵1月20日︶”. 聯合ニュース. (2021年1月20日) 2021年3月26日閲覧。
(22)^ “文在寅大統領、康京和外交部長官を電撃交代”. 中央日報. (2021年1月20日) 2021年3月26日閲覧。
(23)^ “韓国与党 ソウル市長補選候補に朴映宣氏選出”. 聯合ニュース. (2021年3月1日) 2021年3月26日閲覧。
(24)^ ab“親日狩りを先導した首謀者がまさかの“日本買い””. JBpress. (2021年3月30日) 2021年6月10日閲覧。
(25)^ “韓国野党﹁民主党が反日刺激している時、ソウル市長候補の夫は日本株式買っていた﹂”. 中央日報. (2021年3月23日) 2021年6月10日閲覧。
(26)^ 朋子, 菅野. “9000万円“靖国マンション”発覚で文政権&与党は窮地に…﹁親日﹂批判という“ブーメラン””. 文春オンライン. 2021年3月26日閲覧。
(27)^ “41の行政区で野党全勝=ソウル・釜山市長補欠選”. 朝鮮日報. (2021年4月8日). オリジナルの2021年4月8日時点におけるアーカイブ。 2021年4月8日閲覧。
参考文献[編集]
公職 | ||
---|---|---|
先代 洪鍾学 |
中小ベンチャー企業部長官 第2代:2019 - 2021 |
次代 姜聲千(職務代行) 権七勝 |
党職 | ||
先代 田炳憲 |
新政治民主連合院内代表 2代:2014年5月 - 10月 |
次代 禹潤根 |
先代 金ハンギル・安哲秀 共同代表 |
新政治民主連合代表 代表職務代行:2014年7月31日 - 8月3日 非常対策委員会委員長:2014年8月4日 - 9月18日 |
次代 文喜相 非常対策委員長 |