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山口県周南市の住宅メーカー「日本ハウス」とは異なります。 |
株式会社日本ハウスホールディングス︵にほんハウスホールディングス︶は、東京都千代田区に本社のある建設会社。東京証券取引所プライム市場上場企業である。1969年2月13日に盛岡市にて設立された。
設立時の会社名は東日本ハウス株式会社︵ひがしにほんハウス︶。社名は﹁東日本﹂だが、西日本にも営業網を広げていた︵最南端は鹿児島県︶。東日本ハウス時代のキャッチフレーズは﹁近代和風の東日本ハウス﹂。2015年5月1日付で現社名となり、ブランド名は﹃日本ハウスHD﹄で展開する。
2002年、代表取締役に成田和幸が就任。グループ多角化経営を整理、本業回帰路線に変更。注文住宅事業、企画型提案住宅事業、リフォーム事業、マンション販売事業を事業主軸とする。1988年8月に株式を店頭公開、2013年11月に東京証券取引所2部への市場変更、2014年4月に東京証券取引所1部へ指定替えを果たす。
●1969年2月 - 中村功、岩手県盛岡市本町通にて﹁東日本ハウス株式会社﹂を設立。
●1971年3月 - 木造注文住宅の本格販売を開始する。
●1972年3月 - 仙台支店を設置︵東北地方展開の一歩として︶。
●1974年3月 - 宇都宮営業所を設置︵関東地方進出︶。
●1975年2月 - 札幌支店を設置︵北海道地方進出︶。
●1976年4月 - 静岡支店を設置︵中部地方進出︶。
●1978年1月 - 岡山営業所︵現‥支店︶を設置︵中国地方進出︶。
●1979年
●3月 - 大分支店を設置︵九州地方進出︶。
●6月 - 在来工法住宅としては初となる﹁耐震工法﹂を完成する。
●1987年
●1月 - 東大阪営業所を設置︵近畿地方進出︶。
●7月 - 高松営業所︵現‥支店︶を設置︵四国地方進出︶。
●1988年8月 - 同社株式を店頭登録︵現在のジャスダック︶。
●2005年3月 - 本社を盛岡市と東京都千代田区の2社体制となる。
●2008年6月 - 本社機構を東京本社に統合・集約する。
●2013年11月 - 東京証券取引所二部に市場変更。
●2014年4月 - 東京証券取引所一部に指定替え。
●2015年5月 - ﹁株式会社日本ハウスホールディングス﹂に商号変更[1]。
●2016年2月 - 登記上の本店を岩手県盛岡市から東京都千代田区︵本社所在地︶に変更する[2]。
関連会社[編集]
現在
●日本ハウスホテル&リゾート︵旧・ホテル東日本︶
●ホテル森の風 鶯宿
●ホテル森の風 田沢湖
●ホテル四季の館 那須
●ホテル森の風 那須
●ホテル東日本 宇都宮
●ホテル森の風 立山
●ホテル四季の館 箱根芦ノ湖
●ホテル森の風 箱根仙石原
●日本ハウスウッドワークス北海道
●日本ハウスウッドワークス中部
●東京工務店
●日本ハウスコミュニティーサービス
過去
●銀河高原ビール - 2017年10月31日付を以ってクラフトビール最大手のヤッホーブルーイングへ譲渡︵のちに﹁ホテル森の風 沢内銀河高原﹂も譲渡・閉業︶
●ホテル東日本 盛岡 - マイステイズ・ホテル・マネジメントに譲渡後、﹁アートホテル盛岡﹂に改称
●フラワー&ガーデン - 2019年4月清算決了
その他[編集]
かつて東京都銀座に自社ビルディングであるチャンドラ・ボースビルを持っていたことがあった。1997年に購入し、銀河高原ビールの東京拠点および貸しビルとして運用していた。管理は、映画﹃プライド・運命の瞬間﹄の製作のための受け入れ子会社である東京映像制作が行っていた。しかし、映画﹃ムルデカ17805﹄や本業の不振もあって、2007年に売却された。
テレビ東京系トーク番組﹁渡部昇一の新世紀歓談﹂の単独スポンサーだった。
創業者の中村功は政治学習団体﹁経営者漁火会﹂を組織し、それを母体に中村が党首となって保守・右派政党青年自由党を結党した。青年自由党は1995年・1998年参院選に出馬しているが、中村を含め全員落選している。
息子の中村力は1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧岩手1区から出馬し当選。自由民主党・自由国民会議に所属し、1期務めた。その後自民党に入党し数回国政選挙に出馬するが落選。みんなの党に移籍し、岩手県議選に出馬するが落選している。
2022年には人気YouTuberの吉田製作所が、駐車場の設計を巡って当社を動画で強烈に批判し、話題となった[3]。
●グッドデザイン賞 - 3LCCHOUSE
●キッズデザイン賞 - トンネルのある家
●住まいのリフォームコンクール優秀賞 - 倉敷の築後85年のトータルリフォーム
●長期優良住宅先導事業 - 2009年度・2010年度2回連続国交省採択
︵2011年1月1日〜放送のテレビコマーシャルより︶