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東 武蔵︵あずま むさし、1893年1月29日 - 1970年2月9日︶は、明治から昭和にかけての浪曲師である。本名は東常吉。
埼玉県川越生まれ、東京育ち。8歳の時、宝集舎栄楽門下の文楽の養子となり、栄楽門下で栄馬、13歳で真打となり少年浪曲師として活躍、1911年︵明治44年︶19歳の時、巖谷小波の命名で東武蔵を名乗る。噛んで吐き出すような節調﹁武蔵節﹂と才気縦横でアドリブも自在な滑稽は、全くの独流であった。朝刊のニュースを夕方の寄席で演題に入れ喝采を浴びる。寄席読みできめ細かな芸風、演出は奇抜を極めた。のちに落語家の立川談志がこよなく愛し、その演芸選集にも登場する[1]。
戦後ラジオの浪曲番組での審査員としても活躍、1955年︵昭和30年︶脳出血で倒れ闘病生活を続けた。
1970年︵昭和45年︶2月9日、脳梗塞のため千葉県千葉市の自宅にて死去。77歳[2]。
弟子に若武蔵ほか。実の娘が女優の東恵美子。
- ^ 立川談志の「ゆめの寄席」CD全集 日本コロムビア 1999/6/19 10枚組 COCJ-30425(現在廃盤)
- ^ 訃報欄 東武蔵(本名 東常吉、浪曲師)『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月10日 12版 15面