松月秀雄
人物情報 | |
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生誕 |
1892年9月18日 日本福岡県糸島市 |
死没 | 1993年3月31日 (100歳) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 教育学 |
研究機関 | 京城帝国大学・九州大学・東京理科大学 |
松月 秀雄︵まつづき ひでお、1892年9月18日 - 1993年3月31日[1]︶は、日本の教育学者。文学博士。東京理科大学学長。
経歴[編集]
1892年、福岡県糸島郡志摩村芥屋︵現・糸島市志摩芥屋︶の海徳寺住職であった松月元甫の子として生まれる。1911年、福岡県立中学修猷館[2]、1914年、第一高等学校文科[3]を経て、1917年、東京帝国大学文科大学哲学科︵教育学︶を卒業する[4]。 成蹊学園教諭、旅順師範学堂教諭、旅順工科大学予科教授、京城第一公立高等普通学校教諭を経て、1924年、教育学の研究の為、ドイツのハンブルク大学に留学し、イギリス・フランス・アメリカを回って帰国。1926年、京城帝国大学教授に就任する。1942年、文学博士の学位を受け︵論文タイトルは﹃明治以降の学校令に於ける皇国教学目的規定の変遷﹄[5]︶、京城帝国大学法文学部長に就任する。 戦後の1946年、京城帝国大学を退官後、九州大学法文学部嘱託となり、招かれて広島に移り、山陽高等学校、山陽商業学校、山陽女子高等学校の校長を務める。 1948年、東京理科大学教授となり、1953年5月、東京理科大学学長事務取扱に就任する。東京物理学園理事も務めている。1961年、日本大学教授、1965年、帝京大学教授を歴任する。著作[編集]
- 『個性教育』, 教育研究会, 1926年
脚注[編集]
(一)^ ﹃現代物故者事典1991~1993﹄︵日外アソシエーツ、1994年︶p.554
(二)^ ﹃修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念﹄︵修猷館同窓会、2020年︶同窓会員9頁
(三)^ ﹃第一高等学校一覧(自昭和16年至昭和17年)︵附録︶﹄︵第一高等学校編、1941年︶168頁
(四)^ ﹃東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)﹄︵東京帝国大学、1919年︶學士及卒業生姓名245頁
(五)^ 国立国会図書館. “博士論文﹃明治以降の学校令に於ける皇国教学目的規定の変遷﹄”. 2023年4月7日閲覧。