林芋村
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はやし うそん 林 芋村 | |
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生誕 |
1886年 長野県下伊那郡千代村荻坪 (現・飯田市) |
死没 | 1929年4月3日(44歳) |
国籍 |
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職業 | 教育者 |
林 芋村︵はやし うそん、1886年 - 1929年4月3日[1]︶は、長野県下伊那郡千代村荻坪︵現・飯田市︶出身の教育者。本名は林 芳弥︵はやし よしや︶[1]。
経歴[編集]
1886年︵明治19年︶長野県下伊那郡千代村荻坪︵現・飯田市︶に生まれた[1][2]。父は芳平、母はとみ[2]。四男だった[2]。千代村立千代尋常小学校︵現・飯田市立千代小学校︶、農工補習学校を卒業し、徴兵検査で甲種合格となったことで近衛兵として入隊した[2]。除隊後には役場の吏員として働いていたが、1915年︵大正4年︶28歳の時に波合村の尋常小学校︵現・平谷村立平谷小学校︶で代用教員となった[1]。1922年︵大正11年︶12月、尋常科正教員資格を取得[1]。平谷湖の近くに住み、年老いた母親や子どもとともに暮らした[1]。平谷村で15年間教壇に立っていたが[1]、1929年︵昭和4年︶4月3日、植林中に古木の下敷きになって死去した[1]。44歳没。史跡[編集]
平谷村入川の国道148号沿いには、1932年︵昭和7年︶に芋村の歌碑﹁深雪せる 野路に小さき 沓の跡 われこそ先に 行かましものを﹂が建立された[1]。平谷村のみならず、長野県の教育界において有名な歌であり、長野県の教員採用試験で意味が問われたこともある[要出典]。1988年︵昭和63年︶1月18日には﹁林芋村歌碑﹂として平谷村有形文化財に指定された[3]。1983年︵昭和58年︶、この歌に曲が付けられ、平谷村立平谷小学校の文化祭︵高嶺祭︶では教員全員で合唱する。[要出典]歌集[編集]
- 林芋村『林芋村短歌集』平谷村、2012年
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 平谷村教育委員会『われこそ先に 山の子どもにいのちをかけた林芋村』平谷村教育委員会、1991年
- 平谷村誌刊行委員会『平谷村誌 上・下』平谷村、1996年