コンテンツにスキップ

梅路見鸞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  189225 - 195126



寿()421909519167532233151926[1]91934

[1]

エピソード(伝説)[編集]

  • 27(約50m)離れた3の的を二本連続して射抜いた。見ていた人間が「人間業ではない」ともらすと梅路は「もちろん」と言った。
  • 門弟が冬の朝、外で弓を射る稽古をしていた。流儀の動作をひとつ省いて矢を射たところ、雨戸、障子を締め切った家の中で寝ていた梅路が起きて「馬鹿! なんという様だ!」と一喝。家の中にして、外の弟子が動作を省略したことを瞬時に理解したということである。
  • 支え無しに立てた竹を斜めに切り上げ、門松が作れた。
  • 矢の棒の部分を使ってネズミを縦に真っ二つにできた。

参考文献[編集]

  • 甲野善紀著『武術の新・人間学』PHP文庫
  • 中西政次 『弓と禅』春秋社 - 梅路を継いだ鷺野暁門下の手記であり、後編に梅路の著作が載せられている[1]
  • カールフリート・デュルクハイム『肚 人間の重心』麗澤大学出版会
  • 季刊『道』No.146、p.16 合気ニュース

脚注[編集]

  1. ^ a b c 魚住孝至, 「オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』における修行」『宗教哲学研究』 2016年 33巻 p.29-42, 宗教哲学会, doi:10.20679/sprj.33.0_29, NAID 130005439947

関連項目[編集]