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森 忠賛︵もり ただすけ︶は、播磨国赤穂藩7代藩主。赤穂藩森家13代。
宝暦8年︵1758年︶、第5代藩主・森忠洪の三男として生まれる︵生年は宝暦10年︵1760年︶4月12日とも︶。
安永9年︵1780年︶4月29日、兄で第6代藩主の忠興から世子に指名され、8月6日の兄の隠居で家督を継ぎ、12月18日に従五位下・伊予守に叙位・任官する。
藩政では父・兄の学問振興的な政治路線から一変し、質素倹約や塩田開発、御用金調達、﹁国産塩専売仕法﹂による塩の専売など、現実的な藩政改革を行なって財政の引き締めを行なっている。ただし学問的な素養はあったようで、俳諧の道に進んで文学の発展にも尽くしている。
享和元年︵1801年︶5月23日、家督を四男・忠哲に譲って隠居する。後に美濃守に遷任する。天保8年︵1837年︶7月19日︵7月17日とも︶に死去した。享年80。
- 父:森忠洪(1728-1776)
- 母:西宮氏
- 養父:森忠興(1752-1784)
- 正室:巻 - 中川久貞の娘
- 側室:堤氏
- 側室:鈴木氏
- 生母不明の子女
森氏 赤穂藩7代藩主 (1780年 - 1801年) |
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