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森 忠敬︵もり ただよし︶は、播磨国赤穂藩9代藩主。赤穂藩森家15代。
寛政6年︵1794年︶6月20日、7代藩主・森忠賛の十男として生まれる。文化4年︵1807年︶に兄で第8代藩主の忠哲が死去したため、その養子として家督を継いだ。文化5年︵1808年︶8月15日に11代将軍・徳川家斉と拝謁し、12月16日に従五位下・美作守に叙位・任官する。
文政面では、兄の忠哲が先代の事績を明らかにすべく編集していた﹃森家先代実録﹄の制作を引き継ぎ、儒学者の村上中所の監修で制作を進め、文化6年︵1809年︶に28巻からなる﹃実録﹄を完成させた。また忠敬は、さらに補遺の作成を命じ、文化8年︵1811年︶に補遺2巻も完成した。全30巻からなるこの﹃実録﹄は、戦国時代からの森家の事績を仔細に調べ上げており、現在に至っても森家のことを調べる上で重要な書となっている。
藩政においては、文化8年︵1811年︶と文化14年︵1817年︶に塩田開発を積極的に行い、塩問屋との関係強化に努めて藩財政再建を目指した。また、藩校の博文館をさらに拡張した。文化10年︵1813年︶に越中守に遷任し、後に肥後守に遷任する。文政7年︵1824年︶6月8日︵異説として6月4日︶に死去した。享年31。
森家譜によると、跡を長男・忠貫が継いでいる。ただし忠貫は早世したため、三男・忠徳が替え玉︵表向き同一人物︶として擁立され、忠貫は歴代藩主に数えられていない。
- 父:森忠賛(1758-1837)
- 母:不詳
- 養父:森忠哲(1788-1807)
- 正室:東姫 - 酒井忠実の娘
- 生母不明の子女
森氏 赤穂藩9代藩主 (1807年 - 1824年) |
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