法会
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(正御影供から転送)
法会︵ほうえ︶とは、仏教において仏法を説くためや供養を行うための僧侶・檀信徒の集まりである。特に大きな法会は大会︵たいえ・だいえ︶と称されることがある。
概要[編集]
法会は、古くからインド・中国でも降誕会や成道会は行われており、日本では、蘇我馬子がすでに法会を行っていた。奈良時代には宮中の御斎会・興福寺の維摩会・薬師寺の最勝会の3つの法会が重要視され︵これらを﹁南京三会﹂‥なんきょうさんえ と言う︶、この3つの法会の講師を務めた僧は三会已講師︵さんえいこうじ、略して三会已講、已講ともいう︶と称された。この講師を務めることが僧綱︵律師・僧都・僧正︶に昇進するルートであった[1]。 後三条天皇は延久4年︵1072年︶に、仁和寺内に建立した円宗寺で法華会を修させ、最初の年には園城寺から、その後は延暦寺︵山門︶と園城寺︵寺門︶から隔年で交互に講師を出させた。これは寺門側からの独自の僧綱ルートとなる法会創設の願いに応えたものである。こののち承暦2年︵1078年︶には、白河天皇主導で法勝寺で大乗会が行われ、先の円宗寺法華会と最勝会とを合わせ﹁北京三会﹂︵ほっきょうさんえ︶とし、寺社勢力を配下に置こうとした[2]。なお円宗寺は鎌倉時代に廃寺となっている。 その後、法会は追善供養などで行われる法要︵法事︶などと同じ意味で使われるようになった。なお、宗祖や高僧の忌日にその画像︵御影︶を掲げて供養する法会のことを御影供︵みえいく、みえく︶と称するが、特に真言宗において日本真言宗の祖である空海の月命日である21日に行われる御影供︵3月21日に行われる御影供は正御影供という︶は有名である。 源氏物語が流行した平安時代には、読者が紫式部の霊を慰め、自らの罪障を消すためとして﹃源氏供養﹄と称した法会を開いていた。主な法会[編集]
脚注[編集]
- ^ 下向井龍彦 『日本の歴史07 武士の成長と院政』 講談社学術文庫 ISBN 978-4062919074、219p
- ^ 下向井龍彦、241-242p