清水宗之
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清水宗之 | |
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 永禄5年(1562年) |
死没 | 慶長5年8月24日(1600年10月1日) |
改名 | 清水長一郎(幼名)→清水宗之 |
別名 | 通称:二郎四郎、与右衛門 |
戒名 | 義雲宗厳 |
主君 | 毛利輝元 |
氏族 | 備中清水氏 |
父母 | 父:清水宗治、母:清水宗治の妾 |
兄弟 |
宗之、景治、女(中島元行室)、 女(駒木根清右衛門室) |
子 | 義治 |
清水 宗之︵しみず むねゆき︶は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏家臣。父は清水宗治。弟に清水景治。
生涯[編集]
永禄5年︵1562年︶、清水宗治の長男︵庶子︶として、備中国高松において生まれる[1]。 天正7年︵1579年︶、長男の義治が生まれる[2]。 天正10年︵1582年︶6月4日、備中高松城の戦いで羽柴秀吉率いる織田軍と戦っていた父・宗治が切腹し、備中高松城を開城する。 慶長5年︵1600年︶8月24日の安濃津城の戦いでは、毛利元政︵天野元政︶・元倶父子の部隊に押備の供奉として属して戦功を挙げたが、同日夜に戦死した[1]。享年39[1]。長男の清水義治が後を継いだ。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 138.
- ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 139.