防長新聞
防長新聞 | |
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防長新聞社元本社施設(2007年3月)。現在はキリスト教系新興宗教団体の教会施設を経てディスカウントストア。 | |
種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 | 株式会社防長新聞社 |
本社 |
〒740-8533 山口県岩国市中津町3丁目3-3 |
代表者 | 笹川徳光(代表取締役社長) |
創刊 | 1964年(昭和39年)2月1日 |
廃刊 | 2006年(平成18年)12月19日 |
前身 |
岩国日日新聞 時事日本 防長新報 |
言語 | 日本語 |
防長新聞︵ぼうちょうしんぶん︶は、かつて山口県で発行されていた地方新聞。
(一)防長新聞 (1884 - 1978) - 1884年に﹁防長新聞合資会社﹂より創刊した地方紙。1978年に廃刊。
(二)防長新聞 (1992 - 2006) - 1992年に当時の﹁防長新報﹂が1から題号を買い取り﹃防長新聞﹄の題号を継承した地域紙。2006年に廃刊。
防長新聞 (1884 - 1978)[編集]
1884年(明治17年)7月15日に山口市(当時は山口町)で﹁防長新聞合資会社﹂によって創刊。 1942年(昭和17年)2月に新聞統廃合令により、防長新聞と﹁関門日日新聞﹂が合併し、山口県内の新聞が﹃関門日報﹄に統合され、防長新聞の名称が一時的になくなる。 1945年(昭和20年)5月1日に関門日報から防長新聞に改名し、﹁防長新聞合名会社﹂となり、以降は山口県紙として存在していたが、1978年(昭和53年)4月に廃刊。以降は山口県全域で発行している新聞は山口新聞が受け継いでいる。防長新聞 (1992 - 2006)[編集]
概要[編集]
株式会社防長新聞社が岩国市を中心とする山口県東部で発行していた新聞。日本新聞協会・全国郷土紙連合に加盟していた。 ブランケット判8~12ページ建ての日刊紙︵朝刊・月曜休刊︶で、末期の公称部数は16,600部だった。1964年︵昭和39年︶2月1日、笹川徳光︵のち岩国商工会議所会頭︶の個人新聞﹃岩国日日新聞﹄として創刊。1965年に株式会社に転換し﹃時事日本﹄に改題した。さらに1986年11月21日に﹃防長新報﹄に改題したのち、上記の﹃防長新聞﹄を買い取り1992年12月6日に再改題し商号も変更した。廃刊の経緯[編集]
売上高の低迷や金利負担などによる資金繰りの悪化で、2006年12月19日、同日付の朝刊に休刊の社告を掲載して全従業員を解雇[1]。山口地方裁判所岩国支部に自己破産を申請して倒産し、事実上廃刊した。負債は6億6000万円だった[2]。 休刊表明当日に行った記者会見で社長の笹川徳光は、岩国商工会議所会頭の社長自身が推進した﹁米軍岩国基地への米空母艦載機移転容認﹂に従った社の編集方針への反対派市民の反発が経営難の原因だと説明した[3]。 しかし広島県警と山口県警は翌2007年1月、防長新聞社が振り出した手形の割引を広島市の金融業者に迫った恐喝未遂の疑いで、同社の経営陣に加わっていた岩国市内の暴力団組長を逮捕した[4]。裁判では、組長の恐喝未遂罪については被害者とのやり取りから﹁成立を認めるのは困難﹂として無罪としたが[5]、笹川社長は休刊表明直前の12月17日に組長が金融業者に2000万円の手形割引を求めた場に自身も帯同していたことを認め[4]、地元の暴力団が同社の手形を乱発し経営を圧迫していた実態が明らかになった[4]。日刊いわくに[編集]
一方、倒産にともない同社を解雇された編集長の藤井淳史ら元従業員6人は翌2007年、地元紙の復刊をめざして新会社の株式会社日刊いわくにを設立。同年4月3日にタブロイド判の朝刊紙﹁日刊いわくに﹂が創刊された[6]。フリーペーパー[編集]
防長新聞社︵サンデー事業部︶は地域別に新聞折り込みのタブロイド判週刊フリーペーパー﹁サンデーネット﹂を発行していた。本紙とともに廃刊となった。 ●サンデー岩国︵配布地域・岩国市︶ ●サンデー防府︵配布地域・防府市︶ ●サンデー柳井︵配布地域・柳井市︶ ●サンデー周南︵配布地域・周南市︶ ●サンデー光︵配布地域・光市︶ ●サンデー北浦︵配布地域・萩市、長門市︶ これらの配布エリアでは防長新聞廃刊後、﹁Cue﹇キュー﹈ 山口版﹂︵岩国市・柳井市周辺、中国新聞社防長本社発行、2007年2月2日創刊︶[7]、﹁タイファミリー岩国﹂[8]︵岩国市・大竹市・玖珂郡和木町の一部、株式会社田井ファミリー発行、2007年2月16日創刊︶、﹁SPOT山陰﹂︵萩市・長門市、個人発行、2007年9月28日創刊︶の各フリーペーパーが創刊された。 防長新聞廃刊時点で県内ではほかに﹁サンデーしものせき﹂︵下関市、毎日メディアサービス山口発行、現﹁SUNDAY下関﹂︶、﹁サンデーうべ﹂︵宇部市、宇部日報社発行︶、﹁サンデー山口﹂︵山口市、株式会社サンデー山口発行︶の各フリーペーパーが存在したが、これらは防長新聞社とは関係ない。参考文献[編集]
- ^ 「防長新聞が休刊 きょう社告掲載」『西日本新聞』朝刊、2006年12月19日付
- ^ 「防長新聞社債権6億6000万円 集会で管財人説明『一般への配当困難』=山口」 『読売新聞』西部本社版朝刊、2007年5月23日
- ^ 「防長新聞廃刊 市民から惜しむ声 社長『責任は私』無念さにじむ=山口」 『読売新聞』西部本社朝刊、2006年12月20日付
- ^ a b c 「防長新聞に暴力団関与か 社の手形 割引迫る 恐喝未遂初公判 検察側指摘」 『中国新聞』朝刊、2007年4月17日付
- ^ 「合田一家系組長に無罪 恐喝未遂罪で広島地裁判決」『中国新聞』広島西版朝刊、2008年7月31日
- ^ 「元記者奮闘地域紙復刊 防長新聞倒産乗り越え 山口・岩国」『西日本新聞』夕刊、2007年3月26日付
- ^ Cue[キュー]山口版 Vol.1 2/2[FRI] 2007年(平成19年)2月2日
- ^ タイファミリー岩国 創刊号 2007年(平成19年)2月16日
関連項目[編集]
- 末光鉄之助(関門日日新聞、合併後の関門日報の社長を歴任)