渡忠秋

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  1811348210 - 18811465

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著作[編集]

  • 著作
「京都鍾秀録」(安部井音人・渡忠秋編 1878年)
「先入抄」(渡忠秋纂述 1880年)
「読史有感集」(渡忠秋著 1873年)
  • 代表作(句)
昨日今日 降りしは消えて なかなかに 去年の雪のみ 残る野辺かな
ふるさとの 垣ねのうはら 雪消えて 都こひしき 春風そ吹く
見そなはす 梅の馨を かしこくも わか袖にさへ とめてけるかな
あけゆくを 忘れはててや 残るらん 花にかかれる 有明の月
春来ぬと いへは花こそ またれけれ あまりをさなき わか心かな
大原や おほろの清水 みくさゐて おほつかなくも 鳴く蛙かな
あしひきの 山子規 さみたれの 雲のはやしの かけに鳴くなり
たれとたか 心あふちの 花かけに 軒をならへし すまひなるらむ
大君の おほみ車は ひさかたの 雲居をかける 駒そひくらむ
さらにまた 影もととめす なりにけり 鷹巣の山の 峰のしら雲

歌碑[編集]

  • 「渡忠秋 歌碑」: 「後の世も夢ならば花にとぶ 嵯峨野の蝶と我はなりけむ 渡忠秋大人之碑」と刻まれ、裏面「文化8年2月5日 生于舟木 明治14年6月5日 歿于京都 享年七十一 明治45年4月10日 建之」(所在地:滋賀県高島市安曇川町南船木238西光寺)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「御歌所の研究」 P219「渡忠秋」の項(恒川平一著 還暦記念出版会 1939年)
  2. ^ a b c d 「幕末の歌人」 57「渡忠秋」の項(福井久蔵著 研究社 1945年)
  3. ^ a b c d e f 「滋賀県百科事典」(大和書房 1984年)
  4. ^ 東近江市観光協会. “めぐる 寺院・神社・古墳・歴史 - 山部神社・赤人寺”. 2013年1月12日閲覧。