渡辺福三郎
渡辺福三郎 わたなべ ふくさぶろう | |
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生年月日 | 1855年3月6日 |
出生地 |
日本 武蔵国江戸 (現・東京都) |
没年月日 | 1934年5月10日(79歳没) |
前職 | 実業家 |
配偶者 | 渡辺多満子 |
子女 | 養子・渡辺三郎 |
親族 | 兄・9代渡辺治右衛門(貴族院議員) |
在任期間 | 1904年9月29日 - 1905年5月15日 |
第3代 横浜市会議長 | |
在任期間 | 1893年2月7日 - 1905年1月31日 |
神奈川県会議員 |
渡辺 福三郎︵渡邊 福三郎、わたなべ ふくさぶろう、1855年3月6日︵安政2年1月18日︶- 1934年︵昭和9年︶5月10日[1]︶は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴[編集]
武蔵国江戸日本橋の豪商、明石屋・8代渡辺治右衛門の三男として生まれる[2]。父・治右衛門は安政6年6月2日︵1859年7月1日︶横浜開港に合わせて石炭、生糸、海産物を商う横浜渡辺家を創業し、その後、福三郎がその事業を引き継いだ[3]。日清戦争後に事業を転換し、船舶荷役、金融、不動産業を行う[1]。 1912年︵明治45年︶4月、横浜渡辺銀行を設立し頭取に就任[4]。また、渡辺合名会社代表社員、横浜鉄道常務取締役、東京瓦斯取締役、東洋モリスン取締役、横浜電気取締役、二十七銀行取締役、海産乾物貿易商組合頭取、水産伝習所参事員、神奈川県会議員、横浜市会議員、同参事会員、第3代同市会議長︵1893年2月7日から1905年1月31日[5]︶、横浜商業会議所議員などを務めた[6][7][8]。 1904年︵明治37年︶に神奈川県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日に就任し[9]、1905年︵明治38年︶5月15日まで在任した[6][10]。親族[編集]
- 妻 渡辺多満子(父方の従兄弟・大河原新七の妹)[1]
- 養子 渡辺三郎(五女・那べの夫、父方の従兄弟・大河原新七の三男)[1]
- 長兄 9代渡辺治右衛門(実業家、貴族院多額納税者議員)[11]
- 三男・渡辺富三郎の岳父に中浜東一郎[12]。
脚注[編集]
(一)^ abcd#特殊鋼の父、42頁。
(二)^ #特殊鋼の父、20-21頁。
(三)^ #特殊鋼の父、21頁。
(四)^ #特殊鋼の父、43頁。
(五)^ “歴代議長一覧”. www.city.yokohama.lg.jp. 2024年1月16日閲覧。
(六)^ ab﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄229頁。
(七)^ ﹃横浜社会辞彙﹄人物之部 わ5頁。
(八)^ ﹃人事興信録﹄第4版、わ24頁。
(九)^ ﹃官報﹄第6377号、明治37年9月30日。
(十)^ ﹃貴族院要覧︵丙︶﹄昭和21年12月増訂、15頁。
(11)^ #特殊鋼の父、20頁。
(12)^ 渡辺福三郎﹃人事興信録﹄第8版 [昭和3(1928)年7月]