飯田助夫
飯田 助夫︵いいだ すけお、1878年︿明治11年﹀3月7日[1] - 1961年︿昭和36年﹀12月18日[1][注 1]︶は、大正から昭和時代の政治家。衆議院議員。神奈川県会議長。神奈川県橘樹郡大綱村長。
経歴[編集]
素封家・飯田助大夫快三の長男として神奈川県橘樹郡、のちの大綱村︵現横浜市港北区︶に生まれる[2]。1925年︵大正14年︶12代を継ぐ[1]。1903年︵明治36年︶大綱村農会長となり、大綱村会議員、橘樹郡会議員、1917年︵大正6年︶大綱村長、同教育会長、町村会役員などを歴任した[1]。 1924年︵大正13年︶6月、神奈川県会議員に当選[1]。2期務め、1928年︵昭和3年︶7月には議長に推された[1]。1927年︵昭和2年︶4月、大綱村が横浜市に編入されると横浜市会議員に当選[1]。さらに市会参事会員となった[1]。ついで横浜市農会の創設と共に副会長に就任し、1932年︵昭和7年︶1月、県農会副会長となった[1]。ほか、大綱村学務委員、横浜市養蚕組合長、同果物組合連合会長、県耕地協会理事、小作調停委員などを歴任した[3]。1935︵昭和10︶年5月、立憲民政党横浜支部長・三宅磐が現職のまま死去したため、1936年︵昭和11年︶2月の第19回衆議院議員総選挙では三宅の地盤を引き継ぐ形で神奈川県第1区から出馬し当選。つづく第20回総選挙でも当選し、衆議院議員を2期務めた[4]。伝記[編集]
- 品川貞一『飯田家三代の俤』マンノー社、1941年。
親族[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『議会制度七十年史 第11』39頁では昭和36年2月18日死去。
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h i 神奈川県県民部県史編集室 1983, 47頁.
- ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 46-47頁.
- ^ 衆議院、参議院 1962, 39頁.
- ^ 菅谷幸浩「立憲民政党横浜支部の成立と展開」(学習院大学『政治学論集』第36号、2023年)20~37頁。
- ^ a b 神奈川県県民部県史編集室 1983, 46頁.
- ^ 横浜貿易新報社 1935, 4頁.
- ^ “神奈川県議会 県議会の歴史 歴代議長・副議長一覧”. 2022年5月5日閲覧。