渡辺辰五郎
渡辺 辰五郎 ︵渡邉 辰五郎、わたなべ たつごろう、天保15年8月2日︵1844年9月13日︶[1][2] - 明治40年︵1907年︶5月26日[2]︶は、千葉県長生郡長南町生まれの教育家。和洋裁縫伝習所︵現・東京家政大学︶創立者。
経歴[編集]
江戸の一流の仕立屋で奉公し、和洋服についての知識と裁縫技術を習得する[2]。明治元年︵1868年︶9年間の年季奉公を終えて郷里に帰り、仕立屋をしながら地域の子女に裁縫を教える[2]。30歳の時、故郷の長南小学校で裁縫の授業を担当する[2]。その後、千葉女子師範学校︵現・千葉大学︶、東京女子師範学校︵現・お茶の水女子大学︶などで裁縫を教授し[2]、文部省御用掛を拝命される[2]。 明治17年︵1884年︶以降、私塾の和洋裁縫伝習所︵現・東京家政大学︶[3]を創設し[2]、また共立女子職業学校︵現、共立女子大学︶創設にも関与する[2]など、日本の女子職業学校の先駆者となった[2]。 ﹁雛形尺﹂﹁袖形﹂﹁褄形﹂など多数の画期的な裁縫技術を考案する[4]。日本で最初の裁縫教科書を執筆編集し、﹁渡辺式﹂といわれる新しい裁縫技術を広め[2]、生涯にわたり裁縫教育と服装文化に貢献した。脚注[編集]
(一)^ ﹃国民過去帳 明治之巻﹄︵尚古房、1935年︶p.1031
(二)^ abcdefghijk“渡辺辰五郎|近代日本人の肖像”. 近代日本人の肖像. 国立国会図書館. 2022年8月31日閲覧。
(三)^ 東京家政大学では、2011年度、創立130周年を記念して渡邉辰五郎賞が創設された。これは、社会での長年の活躍が評価され、貴重な貢献をした卒業生を称えるもので、社会での活躍が著しく、今後の活躍が期待され、同大学の栄誉を担う卒業生を称えるものとして﹁渡邉辰五郎奨励賞﹂も設けられている。︵“渡邉辰五郎賞 実施要綱”. 東京家政大学. 2018年1月29日閲覧。︶
(四)^ “東京家政大学 渡辺辰五郎と裁縫技術”. 日本私立大学協会. 2018年1月29日閲覧。
著書[編集]
- 『普通裁縫算術書』(明治14年(1881年)7月、渡辺辰五郎編、石川治兵衛)
- 『たちぬひのをしへ』(明治18年(1885年)~明治19年(1886年)、渡辺辰五郎著、清水卯三郎)
- 『裁縫教科書』(明治30年(1897年)3月、渡辺辰五郎編、東京裁縫女学校)
- 『婦人改良服裁縫指南』(明治36年(1903年)3月、渡辺辰五郎著、東京裁縫女学校同窓会)
- 『高等裁縫講義』(明治42年(1909年)6月、渡辺辰五郎述、大日本女学会編、赤心社)
- 『普通裁縫講義』(明治42年(1909年)9月、渡辺辰五郎述、大日本女学会編、赤心社)
- 『渡辺裁縫講義』(明治43年(1910年)4月、渡辺辰五郎著、東京裁縫女学校出版部)