牧野伸通
牧野 伸通︵まきの のぶみち、1891年3月6日[1] - 1956年2月7日[2]︶は宮内庁式部官、旧華族︵伯爵︶。
概要[編集]
牧野伯爵家の長男として生まれる。学習院から東京帝国大学政治科に進み、卒業後は外務省情報部、宮内庁式部官兼主猟官を務めた。学習院時代の同級生だった近衛文麿は、﹁伸通はできが良く、いつも首席であった﹂と評価している[3]。家族[編集]
外務大臣、文部大臣、内大臣などを務めた牧野伸顕の長男。大久保利通の孫。妻は上皇后美智子︵皇太子妃時代︶の女官長を務めた牧野純子︵鍋島直明の長女︶。長男は日東化学工業の元副社長牧野伸和。長女は松濤幼稚園創設者の林貞子。次女は杉山淑子︵豊年製油の元社長杉山元太郎の妻︶。三女は牧野美知子。脚注[編集]
- ^ 『華族名簿 昭和18年7月1日現在』(華族会館、1943年)p.195
- ^ 『毎日年鑑 1957』(毎日新聞社、1956年)p.540
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、594頁。ISBN 978-4-06-288001-5。