牧野信之助
牧野 信之助︵まきの しんのすけ、1884年4月23日[1] – 1939年9月25日 [2][1]︶は、日本の歴史家。専門は日本中世の社会経済史。
来歴[編集]
福井県に生れる。1903年、福井県立武生中学校を卒業する[1]。尋常高等小学校の代用教員を務めた[1]のち、1906年、広島高等師範学校雇となり図書館に勤務し[3][4][5]、内田銀蔵に師事するようになる[6]。内田が京都帝国大学に転じると、牧野も1908年4月に京都帝国大学文科大学雇[7]として国史研究室勤務となり、同年9月には助手となる[6][1]。 1909年に京都帝国大学史学科選科に入学し、1912年に修了[1]。同年10月に石川県立師範学校教諭となり[1]、1916年に福井県史編纂主任になる。以後、滋賀県史編纂主任、堺市史編纂長、北海道史編纂長、大津市史編纂監修、福井県今立郡岡本村の村史編纂顧問などを務め、また1933年から京都帝国大学文学部講師も務めた[8]。脚注[編集]
(一)^ abcdefg牧野信之助君伝記編纂会 1942, pp. 61–65
(二)^ ︹柴田︺﹁牧野信之助氏の訃﹂﹃史林﹄第24巻第4号、史學硏究會、1939年、207-208頁、CRID 1573387452594018816。
(三)^ ﹃廣島高等師範學校一覧 従明治39年至明治40年﹄廣島高等師範學校、1906年6月29日、153頁。NDLJP:813334/218。
(四)^ ﹃廣島高等師範學校一覧 従明治40年至明治41年﹄廣島高等師範學校、1907年7月18日、157頁。NDLJP:813334/353。
(五)^ ﹃広島高等師範学校一覧 ︹従大正10年至大正11年︺﹄廣島高等師範學校、1921年12月20日、206頁。NDLJP:939525/110。
(六)^ ab福井県 1957
(七)^ ﹃職員録 明治42年︵甲︶﹄印刷局、600頁。NDLJP:779796/330。
(八)^ 日本歴史学会 1999