「吾平津媛」の版間の差分
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記紀は、古事記と日本書紀。 |
民族が天孫族というのはおかしい |
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2018年8月9日 (木) 22:14時点における版
あひらつひめ 吾平津媛 | |
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時代 | 上古 |
配偶者 | 神武天皇(当時太子) |
子供 |
手研耳 (その他は#系譜参照) |
親 | 父:火闌降(『古代豪族系図集覧』による) |
吾平津媛︵あひらつひめ、生没年不詳︶は、古代日本の人物。﹃古事記﹄では阿比良比売︵あひらひめ︶と記される。
﹃日本書紀﹄によれば、日向国吾田邑出身である。
系譜
﹃日本書紀﹄には両親兄弟についての記載はない。 ﹃古事記﹄によれば、兄は阿多の小椅君だったという。なお、﹃古代豪族系図集覧﹄によれば、兄に阿多小橋君の祖の天曽利がいる。 上述の﹁阿多の小椅君﹂は、﹃日本書紀﹄に火闌降の子孫としてみえる﹁吾田君小橋﹂と同一と思われる[1]。そのため、同じく﹃日本書紀﹄に火闌降の子孫としてみえる隼人との関連が指摘される[2]。
●夫‥神武天皇 - ﹃日本書紀﹄
初代天皇︵ただし当時は即位前で、太子だった︶。なお、吾平津媛を火闌降の娘とする系図[3]があり、それに従えば、神武天皇と吾平津媛とはいとこ違いの関係になる。
●子‥手研耳︵たぎしみみ、﹃古事記﹄‥多芸志美美︶ - ﹃日本書紀﹄
神武天皇崩後、皇太子神渟名川耳に対する反逆︵手研耳の反逆︶を起こし殺害された。
●子‥研耳︵きしみみ、﹃古事記﹄‥岐須美美︶ - ﹃先代旧事本紀﹄。﹃日本書紀﹄には記載がない。
系図
記録
『日本書紀』によれば、神武天皇(当時太子)は神武東征を行う前、日向にいた時に吾平津媛を妃としたという。