出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
璞 歳之助︵あらたま としのすけ、1797年︿寛政9年﹀ - 1834年7月9日︿天保5年6月3日﹀[1]︶は、現在の青森県西津軽郡︵旧・陸奥国津軽郡︶出身で伊勢ノ海部屋及び柏戸部屋に所属した力士。両部屋を往復する現役生活だった。本名は村山と伝わる。身長177cm。体重は不明。最高位は東前頭2枚目。同郷の柏戸利助を頼って入門したと伝わる。
1814年4月場所に初土俵︵三段目︶。1815年3月場所に十両昇進[2]。しかしここで伸び悩み、9年後の1824年1月場所で漸く新入幕を果たした。1828年3月場所では、緋縅力弥に次ぐ7勝1敗1休1分の優勝次点の好成績を挙げた。10年間も幕内にいたが、1834年1月場所終了後の6月3日、現役中のまま38歳で死去した。
主な成績[編集]
●通算成績‥110勝130敗10分13預6無49休 勝率.458
●幕内成績‥62勝63敗5分5預2無49休 勝率.496
●現在在位‥38場所
●幕内在位‥20場所
改名歴[編集]
●璞 安平︵あらたま やすべい︶1815年3月場所 - 1826年10月場所
●璞 歳之助︵あらたま としのすけ︶1827年3月場所
●璞 年之助︵あらたま としのすけ︶1827年11月場所
●璞 歳之助︵あらたま としのすけ︶1828年3月場所 - 1834年1月場所
[3]
関連項目[編集]