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真庭市立天津小学校︵まにわしりつ あまつしょうがっこう︶は、岡山県真庭市日名にある公立小学校。
2010年度現在、在籍児童数が135名の小規模校である。﹁自主的・創造的でたくましき生きる子どもの育成﹂を教育目標に掲げる。かつて校庭に大きなポプラの木があり、そのことは校歌の歌詞にもなっている。
●1872年︵明治5年︶8月 - 真嶋郡日名村・影村・高屋村・開田村・福田村・杉山村を学区として、高屋村懸上りに懸上小学校を、中村・富尾村を学区として中村に育蒙小学校を設立し、読・書・算の三教科を教える。
●1873年︵明治6年︶9月 - 中村・富尾村を学区に編入し、立身小学校と改称、日名村善福寺を校舎として移転する。
●1880年︵明治13年︶4月 - 富尾村は学区より分離する。
●1881年︵明治14年︶5月 - 福田村の元民家を校舎として移転する。
●1884年︵明治17年︶3月 - 日名村に校舎を新築する。
●1889年︵明治22年︶4月 - 小学校令の改正により尋常天津小学校と改称する。町村制実施により開田村を学区より分離する。
●1893年︵明治26年︶4月 - 小学校令の改正により天津尋常小学校と改称する。
●1895年︵明治28年︶3月 - 町村統廃合で旧落合町となり、学区を旧天津村と大字開田とする。落合町立天津尋常小学校と改称する。
●1911年︵明治44年︶5月 - 校舎狭隘のため、前年起工した校舎全部の改築工事を竣工する。
●1912年︵明治45年︶5月 - 実業補習学校を併設する。
●1914年︵大正3年︶5月 - 失火により付属建物が焼失し、大正4年1月再度失火により、校舎全焼する。
●1916年︵大正5年︶3月 - 大字日名の現在位置に校舎を新築する。
●1948年︵昭和23年︶ - 校歌を制定する。
●1949年︵昭和24年︶10月 - 講堂および付設教室の新築が完成する。
●1960年︵昭和35年︶3月 - 校舎本館が新築される。
●1961年︵昭和36年︶ - 校庭のポプラ大木が落雷の被害と、校舎新築・運動場拡張のために切り倒される。
●1962年︵昭和37年︶5月 - 付属建物の新築、完全給食が始まる。
●1963年︵昭和38年︶4月 - 天津幼稚園を設立する。
●1972年︵昭和47年︶4月 - 開校100周年を迎え7月21日に記念式を挙行する。簡易水泳プール完成。
●1976年︵昭和51年︶8月 - 簡易水泳プールを廃し、本水泳プールを新設する。
●1981年︵昭和56年︶3月 - 講堂等を取り壊し、体育館と特別教室が完成する。
●2000年︵平成12年︶3月 - 現在の校舎が完成する。落成記念式典が挙行される。
●2002年︵平成14年︶ - 運動場南西側にあった水泳プールを取り壊し、校舎北側に新設する。運動場を拡張する。
●2005年︵平成17年︶3月 - 落合町は市町村合併により真庭市となり、真庭市立天津小学校と改称する。
真庭市の以下の地区が学区となる。全域が真庭市合併以前の旧落合町域であり、卒業生は基本的に真庭市立落合中学校に進学する。
●開田
●影
●杉山
●高屋
●中
●日名
●福田
なお杉山地区からの通学者は遠方のため、朝の通学時のみ、真庭市立落合中学校が運営するスクールバスを利用する。
現在の本校舎は2000年︵平成12年︶3月に落成したものであり、体育館と特別教室は1981年︵昭和56年︶に完成したものを使用している。各学年に1つの普通教室を備えるほか、図書室、コンピュータ教室、特別教室、生活科教室、保健室、家庭科室、スタジオ付き放送室、理科室、和室、メディアコーナーなどを持つ。また校舎屋根には明かり窓が設置され、吹き抜けを通して1階の多目的ホールを照らす。この多目的ホールは1階の廊下の役割を担うほか、全校集会を行えるほどの収容力をもつのも特徴である。
落合町史 地区史編
落合町立天津小学校 落成記念誌
関連項目[編集]
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