石井国次
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石井 国次︵いしい くにじ、1874年︵明治7年︶11月3日[1] - 1954年︵昭和29年︶3月3日[2]︶は、日本の教育者。宮中顧問官。
経歴[編集]
茨城県出身。1899年︵明治32年︶、東京高等師範学校文科を卒業し、1901年︵明治34年︶に同校研究科を卒業した[3]。翌年より学習院教授となり、初等科長を務めた[3]。1936年︵昭和11年︶に退官した後は、宮中顧問官に任命された[3]。 1908年︵明治41年︶に裕仁親王︵後の昭和天皇︶が学習院初等科に入学すると、卒業までの6年間主管を務めた[3]。次いで東宮御学問所が設置されると、御用掛を兼務した[3]。墓所は多磨霊園。著書[編集]
- 『戦時教育 国民の覚悟』(冨山房、1904年)
栄典[編集]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注[編集]
- ^ 人事興信録 第5版 1918.
- ^ 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。
- ^ a b c d e 人事興信録 第11版 1937.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献[編集]
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。