石原葵
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石原 葵︵いしはら まもる、1946年11月9日[1] - ︶は、日本の農林官僚。元農林水産事務次官。2013年から日本べんとう振興協会代表理事・会長[2]。
人物[編集]
兵庫県出身[1]。高校は高槻高校に通い[3]、東京大学に進学した。1970年に東京大学法学部を卒業し、農林省に入省。 入省後は、福岡県農政部長、経済局長、食糧庁長官、林野庁長官などを歴任。水産庁の水産流通課長を務めた際には、魚の消費を拡大するためのキャンペーンソングの作成をサンミュージックに依頼した。その時にできあがった数曲の中から、課内の若手職員が選んだ曲が﹁おさかな天国﹂であった[4][5]。この曲はカセットテープとして全国のスーパー、百貨店などの鮮魚店コーナーに配布され、徐々に知名度があがったことで予想外のヒットを遂げた。 2004年に農林水産事務次官に就任[6]。2006年の退官後は、日本中央競馬会副理事長、JRAシステムサービス会長[7]などを歴任し、2013年からは日本べんとう振興協会代表理事・会長を務めている[2]。2017年春の叙勲で、瑞宝重光章を受章[8]。略歴[編集]
●1946年11月 - 兵庫県で生まれる ●1970年3月 - 東京大学法学部卒業 ●1970年4月 - 農林省入省 ●1977年7月 - 水産庁漁政部協同組合課水産業協同組合検査官 ●1977年9月 - 水産庁漁政部協同組合課課長補佐(企画) ●1979年9月 - 経済局国際部国際経済課課長補佐︵総括及び総務班︶ ●1981年8月 - 環境庁自然保護局企画調整課課長補佐 ●1982年8月 - 大臣官房文書課課長補佐︵法令︶ ●1984年4月 - 林野庁林政部林政課課長補佐︵総括︶ ●1984年12月 - 林野庁林政部林政課検査官 ●1986年4月 - 在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官 ●1987年1月 - 在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官 ●1989年7月- 水産庁漁政部水産流通課長[9] ●1994年4月 - 大臣官房文書課長 ●1997年1月 - 大臣官房総務審議官 ●1999年8月 - 農林水産省経済局長 ●2001年1月 - 食糧庁長官 ●2003年7月 - 林野庁長官 ●2004年1月 - 農林水産省事務次官 ●2006年8月 - 農林水産省退官 ●2007年9月 - 日本中央競馬会副理事長 ●2013年5月 - 日本べんとう振興協会代表理事・会長[2]同期[編集]
●樋口久俊︵畜産局長、鹿島市長︶、西藤久三︵総合食料局長、東大院農経修了︶、小林新一︵農林水産技術会議事務局長︶ほか。脚注[編集]
(一)^ ab 石原葵氏、JRA副理事長に再任. 日経ラジオ社. (2008-09-17) 2019年10月13日閲覧。.
(二)^ abc“日本べんとう振興協会、総会開催 石原葵会長が続投”. 日本食糧新聞. (2019年5月31日) 2019年10月13日閲覧。
(三)^ 槻友会 高槻高等学校・中学校を卒業した1万5千人の頼れるネットワーク
(四)^ 田村重信 2007, pp. 169–171.
(五)^ 衆議院議員 北村誠吾WebSite
(六)^ “新農水次官に石原氏”. 農業協同組合新聞. (2004年1月7日) 2019年10月13日閲覧。
(七)^ 事業報告 - 中央競馬馬主社会福祉財団
(八)^ “春の叙勲決まる 濱口・安田氏が旭中 旭小・内池氏、瑞重・石原氏”. 日本食糧新聞. (2004年1月7日) 2019年10月13日閲覧。
(九)^ ﹁農林水産省名鑑﹂ 1990年 農林出版社
参考文献[編集]
- 田村重信『民主党はなぜ、頼りないのか 不毛の二大政党制の根源を探る』成甲書房、2007年4月13日。ISBN 978-4880862125。
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