石田保忠
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石田 保忠︵いしだ もりただ、1894年︵明治27年︶1月19日[1] - 1944年︵昭和19年︶11月20日[1]︶は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴[編集]
東京府出身[1][2]。1915年︵大正4年︶5月、陸軍士官学校第27期卒業[3]。1927年︵昭和2年︶12月、陸軍大学校第39期卒業[4]。 1938年︵昭和13年︶3月1日、陸軍航空兵大佐に進んだのち、同月25日、第八国境守備隊第二地区歩兵隊長に任じ、第16師団参謀長を経て、1941年︵昭和16年︶3月、陸軍少将に進み、第32歩兵団長に補され[2]、山東省の警備に任じた[1]。 ついで、1943年︵昭和18年︶6月に第八国境守備隊長に転じ、翌年、1944年︵昭和19年︶10月14日に樺太混成旅団長に補され、敷香に展開した[1]。同月26日に陸軍中将に進むが、翌月の11月20日、陣没した[1]。親族[編集]
- 父:石田保謙(陸軍少将)
- 兄:石田保道(陸軍少将)
- 兄:石田保秀(陸軍中将)
- 兄:石田保政(陸軍大佐)
- 義兄:大橋武夫(妻文枝の兄、政治家、内務官僚)
- 二男:石田保昭(インド史学者、評論家)
- 岳父:大橋常三郎(陸軍少将)