秋草篤二
秋草 篤二︵あきくさ とくじ、1909年7月7日 - 2001年11月22日︶は、日本の実業家。
経歴[編集]
群馬県出身。旧制太田中学校︵のちの群馬県立太田高等学校︶を経て、1934年に東京商科大学︵現一橋大学︶を卒業。卒業後、日本無線電信に入る。AT&T留学、電気通信省経理局会計課長、日本電信電話公社発足とともに同社理事︵経理局長︶としてうつり、同社副総裁などを経て、1977年に第4代日本電信電話公社総裁に就任。一部では手法が独裁的であったとの評価もあるが、在任中は、﹁改良第6次5ヵ年計画﹂を実施。加入電話の積滞解消や全国自動即時化、自動車電話サービス︵現在は、NTTドコモが継承︶開始などサービス向上に努めた。1983年11月に勲一等瑞宝章を受章。富士通株式会社元社長・秋草直之の実父。関連項目[編集]
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