立川文都
六代目 | |
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。 | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1960年1月31日 |
没年月日 | 2009年10月29日(49歳没) |
出身地 | 日本・大阪府 |
死没地 | 日本・東京都 |
師匠 | 七代目立川談志 |
名跡 | 1.立川関西 (1984年 - 1988年) 2.立川談坊 (1988年 - 1998年) 3.六代目立川文都 (1998年 - 2009年) |
出囃子 | せり |
活動期間 | 1984年 - 2009年 |
所属 | 落語立川流 |
六代目 立川 文都︵たてかわ ぶんと、1960年1月31日 - 2009年10月29日︶は落語家。大阪府大阪市出身。本名∶国府 秀剛。落語立川流所属。出囃子は﹃せり﹄。
経歴[編集]
大阪学院大学外国語学部卒業後の1984年2月、七代目立川談志に入門。関西出身なので﹁立川関西﹂と名乗る。 1988年3月、二ツ目昇進して﹁談坊﹂と改名。 1998年10月、真打昇進し﹁六代目立川文都﹂を襲名。 2009年7月、公式ブログで癌であることを公表[1]したが、10月29日に胃癌のため死去。49歳[2][3]。 11月5日に千葉県習志野市で開かれた﹁習志野寄席﹂は急きょ文都を送る会になり、初めて直弟子を失った師匠の談志もかけつけて高座を務めた。文都の代演としてトリを務めたのは兄弟子の立川志の輔[4]。 12月14日、上野・東天紅での﹁お別れの会﹂には、談志一門だけではなく他の団体の落語家や関係者も多数参加した[5]。芸歴[編集]
●1984年2月 - 七代目立川談志入門、前座名﹁関西﹂。 ●1988年3月 - 二ツ目昇進﹁談坊﹂と改名。 ●1998年10月 - 真打昇進、﹁六代目立川文都﹂を襲名。 ●2009年10月 - 死去。演じた俳優[編集]
●宮川大輔︵ドラマ﹁赤めだか﹂、2015年︶関連項目[編集]
●三遊亭圓楽 (5代目) - 落語家。同日に亡くなっている。 ●笑福亭羽光 - 落語家︵落語芸術協会所属︶。大阪学院大学落語研究会の後輩にあたる。共に﹁東京で上方落語を演じる﹂という共通点を持ち、文都没後、遺品の和太鼓を譲り受けている。脚注[編集]
(一)^ “東京に虹・アルカンシェイル!”. 立川文都ブログ (2009年7月20日). 2015年5月12日閲覧。
(二)^ “落語家、立川文都さん死去”. 朝日新聞. (2009年10月31日) 2009年10月31日閲覧。
(三)^ “立川文都を送る会 談志らが集い”. 朝日新聞DIGITAL. (2009年11月16日) 2015年5月12日閲覧。
(四)^ 篠崎弘﹁立川文都を送る会 談志らが集い﹂﹃朝日新聞﹄、2009年11月16日。
(五)^ 撮影‥橘蓮二﹃東京かわら版 平成22年2月号 見る目嗅ぐ鼻﹄東京かわら版、2010年1月28日、22頁。