干支
![]() |
干支 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 甲子 |
2 乙丑 |
3 丙寅 |
4 丁卯 |
5 戊辰 |
6 己巳 |
7 庚午 |
8 辛未 |
9 壬申 |
10 癸酉 |
11 甲戌 |
12 乙亥 |
13 丙子 |
14 丁丑 |
15 戊寅 |
16 己卯 |
17 庚辰 |
18 辛巳 |
19 壬午 |
20 癸未 |
21 甲申 |
22 乙酉 |
23 丙戌 |
24 丁亥 |
25 戊子 |
26 己丑 |
27 庚寅 |
28 辛卯 |
29 壬辰 |
30 癸巳 |
31 甲午 |
32 乙未 |
33 丙申 |
34 丁酉 |
35 戊戌 |
36 己亥 |
37 庚子 |
38 辛丑 |
39 壬寅 |
40 癸卯 |
41 甲辰 |
42 乙巳 |
43 丙午 |
44 丁未 |
45 戊申 |
46 己酉 |
47 庚戌 |
48 辛亥 |
49 壬子 |
50 癸丑 |
51 甲寅 |
52 乙卯 |
53 丙辰 |
54 丁巳 |
55 戊午 |
56 己未 |
57 庚申 |
58 辛酉 |
59 壬戌 |
60 癸亥 |
十干 ・ 十二支 |
概説[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/Chu_K%E1%BB%B3_60_N%C4%83m.svg/280px-Chu_K%E1%BB%B3_60_N%C4%83m.svg.png)
十干と十二支[編集]
十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類からなり、十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類からなっており、これらを合わせて干支と呼ぶ[1]。十干十二支は戦国時代に作られた陰陽五行説よりもはるかに古い起源をもつので、陰陽五行説による説明は後付けであって学問的な意味はない。また生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物への連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による後漢時代の解釈[注釈 1]である。鼠、牛、虎…の12の動物との関係がなぜ設定されているのかにも諸説があるが詳細は不明である。十干[編集]
十干 | 日本語 | 中国語 | 朝鮮語 | ベトナム語 | 本義[4] | ||
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音読み | 訓読み | 意味 | |||||
甲 | こう | きのえ | 木の兄 | jiǎ/ㄐㄧㄚˇ | 갑 (gap) | giáp | 草木の芽生え。鱗芽のかいわれの象意。 |
乙 | おつ、いつ | きのと | 木の弟 | yǐ/ㄧˇ | 을 (eul) | ất | 陽気でまだ伸びなく、かがまっている状態。 |
丙 | へい | ひのえ | 火の兄 | bǐng/ㄅㄧㄥˇ | 병 (byeong) | bính | 陽気の発揚。 |
丁 | てい | ひのと | 火の弟 | dīng/ㄉㄧㄥˉ | 정 (jeong) | đinh | 陽気の充溢。 |
戊 | ぼ | つちのえ | 土の兄 | wù/ㄨˋ | 무 (mu) | mậu | 茂に通じ、陽気による分化繁栄。 |
己 | き | つちのと | 土の弟 | jǐ/ㄐㄧˇ | 기 (gi) | kỷ | 紀に通じ、分散を防ぐ統制作用。 |
庚 | こう | かのえ | 金の兄 | gēng/ㄍㄥˉ | 경 (gyeong) | canh | 結実・形成・陰化の段階。 |
辛 | しん | かのと | 金の弟 | xīn/ㄒㄧㄣˉ | 신 (shin) | tân | 陰による統制の強化。 |
壬 | じん | みずのえ | 水の兄 | rén/ㄖㄣˋ | 임 (im) | nhâm | 妊に通じ、陽気を下に姙む意。 |
癸 | き | みずのと | 水の弟 | guǐ/ㄍㄨㄟˇ | 계 (gye) | quý | 揆に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態。 |
十二支[編集]
十二支 | 日本語 | 中国語 | 広東語 | 台湾語 | 韓国語 | ベトナム語 | 概要[5] | |
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音読み | 訓読み | 拼音 | 粤拼 | 白話字 | ハングル | 国語 | ||
子 | し | ね | zǐ | zi2 | chú | 자 | tý | 「孳」(し:「ふえる」の意味)。 新しい生命が種子の中に萌し始める状態を表しているとされる。 |
丑 | ちゅう | うし | chǒu | cau2 | thiú | 축 | sửu | 「紐」(ちゅう:「ひも」「からむ」の意味)。 芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態を表しているとされ、 指をかぎ型に曲げて糸を撚ったり編んだりする象形ともされる。 |
寅 | いん | とら | yín | jan4 | în | 인 | dần | 「螾」(いん:「動く」の意味)。 春が来て草木が生ずる状態を表しているとされる。 |
卯 | ぼう | う | mǎo | maau5 | báu | 묘 | mão/mẹo | 「冒」、『史記』律書によると「茂」(ぼう:「しげる」の意味)。 草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとされる。 |
辰 | しん | たつ | chén | san4 | sîn | 진 | thìn | 「振」(しん:「ふるう」「ととのう」の意味)。 草木の形が整った状態を表しているとされる。 |
巳 | し | み | sì | zi6 | chī | 사 | tỵ | 「已」(い:「止む」の意味)。 草木の成長が極限に達した状態を表しているとされる。 |
午 | ご | うま | wǔ | ng5 | ngó͘ | 오 | ngọ | 「忤」(ご:「つきあたる」「さからう」の意味)。 草木の成長が極限を過ぎ、衰えの兆しを見せ始めた状態を表しているとされる。 |
未 | び | ひつじ | wèi | mei6 | bī | 미 | mùi | 「昧」(まい:「暗い」の意味)。 植物が鬱蒼と茂って暗く覆う状態を表しているとされる。 『説文解字』によると「味」(み:「あじ」の意味)。 果実が熟して滋味が生じた状態を表しているとされる。 |
申 | しん | さる | shēn | san1 | sin | 신 | thân | 「呻」(しん:「うめく」の意味)。 果実が成熟して固まって行く状態を表しているとされる。 |
酉 | ゆう | とり | yǒu | jau5 | iú | 유 | dậu | 「緧」(しゅう:「ちぢむ」の意味)。 果実が成熟の極限に達した状態を表しているとされる。 |
戌 | じゅつ | いぬ | xū | seot1 | sut | 술 | tuất | 「滅」(めつ:「ほろぶ」の意味)。 草木が枯れる状態を表しているとされる。 |
亥 | がい | い | hài | hoi6 | hāi | 해 | hợi | 「閡」(がい:「とざす」の意味)。 草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態を表しているとされる。 |
干支概略史[編集]
干支による紀日[編集]
干支によって日付を記述する干支紀日法は、すでに殷代の甲骨文に現れている。 西洋では1月を4分割して﹁週﹂︵7日︶というサイクルを編み出した︵ただし7という数字は天体から︶が、古代中国では1月を3分割して﹁旬﹂︵10日︶というサイクルを考案し、十干という順序符号をつけた。甲骨文には﹁卜旬︵ぼくじゅん︶﹂があり、これは、ある特定の日︵癸の日︶から向こう10日間の吉凶を占ったものである[注釈 4]。10日、すなわち十干を3回繰り返すと1か月︵30日︶になるので、十干と十二支を組み合わせると、2か月︵60日︶周期で日付を記録することになる。 ある日を甲子とすると、第2日が乙丑、第3日が丙寅というように進んで第60日の癸亥へと進み、第61日に至ると再び甲子に還って日を記述していった。これは、3,000年以上経った今に至るまで、断絶することなく用いられている。また、干支紀日は﹃日本書紀﹄など東アジアの歴史書にも広く使用されている。 殷代においては、干支はもっぱら紀日法として用いられ、年に関しては1から始まる順序数︵自然数︶を使用しており、月に関しても順序数を基本としていた。 現在のような順序数による紀日法がいつ始まったかはわかっていないが、現在のところ、山東省臨沂県︵りんぎけん︶から出土した銀雀山漢墓竹簡、および武帝7年︵元光元年、紀元前134年︶の暦譜竹簡の例が最古とされている。 中国でも日本でも暦はしばしば改定されているが、干支による紀日は古代から連綿と続いており、古い記録の日付を確定する際の有力な手がかりになる。 さらに、旧暦の月は29日また30日で規律があまりなく、閏︵うるう、月と月の間にさらに一ヶ月を入れる︶もあるため、干支を使えば閏があるかないかがわかる。 一例として、史料に﹁○月甲寅朔︵1日は甲寅の日︶﹂のように記録したら、﹁乙丑、…︵なにかのできごと︶﹂はその月の12日であることは自明。そして﹁七月甲子﹂と﹁八月甲子﹂の間に60日もあるなら七月と八月の間に﹁閏七月﹂があることがわかる。干支による紀月[編集]
古くから中国では冬至を含む月を﹁子月﹂と呼んだ。 子は十二支の1番目であり﹁新たな生命の種が宿る時﹂とされており、旧命が滅し、新種が宿るため、子は十二支で唯一、生滅同梱・新旧同梱の支となる。時刻に関しても子の時刻は23:00-0:59となっており、旧から新へと切り替わることを意味する。 周代では冬至の日を新年とし、子月を1月としていたが、漢代に王朝が変わると夏暦が再び使用されるようになり、正月が寅月立春に移動し、寅月を1月とする夏暦が2000年以上も続き、現在の中国でも夏暦が使用されている。 ﹁一陽来復﹂︵いちようらいふく︶とは、冬至を意味し、新年の到来、悪い事が続いた後で幸運に向かう事、陰気が極まった後に冬至を境に陽気に向かう事を意味し、陰暦10月は坤卦、11月は復卦に当たり、陰ばかりの中に陽が戻ることになり、復卦とは冬至の事である。 冬至は1年間で太陽の位置が最も低くなる日であり、1年間で日中が最も短くなり、冬至を境に太陽が生まれ変わり、陽気が増え始めるとされている。 天文や二十四節気の平気法では冬至を1年の起点としている。子の時刻は23:00-0:59となっており、二十四節気を24時間上に例えると、子月にある冬至は0:00の位置となり、次の年への移行を意味することになる。物理上は、1年間の干支は冬至で切り替わることになる。 月名には十干を加えることが唐代には行われており、その場合の配当は年の干名によって各月の干が割り当てられた。たとえば、寅月についていえば、甲や己の年は丙、乙や庚の年は戊、丙や辛の年は庚、丁や壬の年は壬、戊や癸の年は甲となる。つまり、干名が甲である年の寅月は﹁丙寅月﹂となる。月の十二支 | 節気の区切り | 中気 | 月 (天文[要曖昧さ回避]・平気法・周正) |
月 (旧暦・夏正) |
月 (新暦) |
甲・己年 | 乙・庚年 | 丙・辛年 | 丁・壬年 | 戊・癸年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
子月 | 大雪-小寒 | 冬至 | 1月 冬至で新年へ移行。新年・旧年の両方を含む月となる。 |
11月 | 新暦12月上旬-新暦1月上旬 | 丙子月 | 戊子月 | 庚子月 | 壬子月 | 甲子月 |
丑月 | 小寒-立春 | 大寒 | 2月 | 12月 | 新暦1月上旬-新暦2月上旬 | 丁丑月 | 己丑月 | 辛丑月 | 癸丑月 | 乙丑月 |
寅月 | 立春-啓蟄 | 雨水 | 3月 | 1月 | 新暦2月上旬-新暦3月上旬 | 丙寅月 | 戊寅月 | 庚寅月 | 壬寅月 | 甲寅月 |
卯月 | 啓蟄-清明 | 春分 | 4月 | 2月 | 新暦3月上旬-新暦4月上旬 | 丁卯月 | 己卯月 | 辛卯月 | 癸卯月 | 乙卯月 |
辰月 | 清明-立夏 | 穀雨 | 5月 | 3月 | 新暦4月上旬-新暦5月上旬 | 戊辰月 | 庚辰月 | 壬辰月 | 甲辰月 | 丙辰月 |
巳月 | 立夏-芒種 | 小満 | 6月 | 4月 | 新暦5月上旬-新暦6月上旬 | 己巳月 | 辛巳月 | 癸巳月 | 乙巳月 | 丁巳月 |
午月 | 芒種-小暑 | 夏至 | 7月 | 5月 | 新暦6月上旬-新暦7月上旬 | 庚午月 | 壬午月 | 甲午月 | 丙午月 | 戊午月 |
未月 | 小暑-立秋 | 大暑 | 8月 | 6月 | 新暦7月上旬-新暦8月上旬 | 辛未月 | 癸未月 | 乙未月 | 丁未月 | 己未月 |
申月 | 立秋-白露 | 処暑 | 9月 | 7月 | 新暦8月上旬-新暦9月上旬 | 壬申月 | 甲申月 | 丙申月 | 戊申月 | 庚申月 |
酉月 | 白露-寒露 | 秋分 | 10月 | 8月 | 新暦9月上旬-新暦10月上旬 | 癸酉月 | 乙酉月 | 丁酉月 | 己酉月 | 辛酉月 |
戌月 | 寒露-立冬 | 霜降 | 11月 | 9月 | 新暦10月上旬-新暦11月上旬 | 甲戌月 | 丙戌月 | 戊戌月 | 庚戌月 | 壬戌月 |
亥月 | 立冬-大雪 | 小雪 | 12月 | 10月 | 新暦11月上旬-新暦12月上旬 | 乙亥月 | 丁亥月 | 己亥月 | 辛亥月 | 癸亥月 |
干支による紀年[編集]
歳星紀年法[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e2/Jupiter.jpg/270px-Jupiter.jpg)
太歳紀年法[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Taisai.svg/240px-Taisai.svg.png)
太歳の位置 | 子 | 丑 | 寅 | 卯 | 辰 | 巳 | 午 | 未 | 申 | 酉 | 戌 | 亥 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
歳名 | 困敦 | 赤奮若 | 摂提格 | 単閼 | 執徐 | 大荒落 | 敦牂 | 叶洽 | 涒灘 | 作噩 | 閹茂 | 大淵献 |
コントン | セキフンジャク | セッテイカク | ゼンエン | シュウジョ | ダイコウラク | トンショウ | キョウコウ | トンタン | サクガク | エンモ | ダイエンケン |
漢代に入ると、『淮南子』天文訓に「淮南元年冬、天一在丙子」と記述されるように、十干と組み合わせた干支で太歳の位置が記述されるようになった。
太歳の位置 | 甲 | 乙 | 丙 | 丁 | 戊 | 己 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
歳名 | 閼逢 | 旃蒙 | 柔兆 | 強圉 | 著雍 | 屠維 | 上章 | 重光 | 玄黓 | 昭陽 |
エンホウ | センモウ | ジュウチョウ | キョウギョ | チョヨウ | トイ | ジョウショウ | チョウコウ | ゲンヨク | ショウヨウ |
干支紀年法[編集]
後漢の建武26年︵西暦50年︶は、当時使われていた劉歆の三統暦の超辰法に従うならば、庚戌を辛亥とすべき年であった。にもかかわらず、光武帝に随従していた学者たちは超辰を行わず、庚戌のまま紀年を続けた。さらに元和2年︵西暦85年︶の改暦では三統暦の超辰法自体が廃止された[注釈 6]。これ以後、木星を観測して、その位置で年を記録することはなくなった。この時から、木星の運行とは関係なく、60年周期の干支を1年ごとに機械的に進めていく干支紀年法が用いられるようになり、絶えることなく現在まで続いている。これは、後代に干支が伝来した朝鮮や日本とも共通である。西暦2024年の干支は甲辰である。 民間では干支のうちの十二支の部分だけを用い、それに動物を配当した生肖紀年法が今も広く用いられている。なお、広開土王碑と12世紀成立の高麗朝による正史﹃三国史記﹄の干支に1年の違いがあるなど、時代や地域によっては必ずしも一定しないことも散見される。生肖紀年法[編集]
各国の十二獣 | 子 | 丑 | 寅 | 卯 | 辰 | 巳 | 午 | 未 | 申 | 酉 | 戌 | 亥 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中国の十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊[注釈 12] | 猴[注釈 13] | 鶏 | 狗 | 猪(豚[注釈 14]) |
日本の十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 猪 |
韓国の十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚 |
タイの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 猫 | 竜 | 蛇 | 馬 | 山羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚 |
ベトナムの十二獣 | 鼠 | 水牛 | 虎 | 猫 | 竜 | 蛇 | 馬 | 山羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚 |
モンゴルの十二獣 | 鼠 | 牛 | 豹・虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚 |
インドの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | ガルダ | 犬 | 豚 |
アラビアの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 | 鰐 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚 |
ロシアの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎・猫 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊・山羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚 |
ベラルーシの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎・猫 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚 |
干支紀年と日本[編集]
陰陽五行説との連関[編集]
陰陽五行説と十干[編集]
陰陽五行説と十二支[編集]
十二支にも五行が配される。四季に対応する五行は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水であり、土は各季節の最後の月にあたり、季節の変わり目を表す。土用の丑の日は夏の最終月︵土用︶の丑の日という意味である。各季節に十二支を配すと、 [7] ●春…寅︵木︶、卯︵木︶、辰︵木、土用期間は土旺︶ ●夏…巳︵火︶、午︵火︶、未︵火、土用期間は土旺︶ ●秋…申︵金︶、酉︵金︶、戌︵金、土用期間は土旺︶ ●冬…亥︵水︶、子︵水︶、丑︵水、土用期間は土旺︶ となる。 陰陽五行説が起こったのは、中国の戦国時代であり、騶衍の五行思想に陰陽思想が結びついたものである。これが干支と結びついて干支五行説として天地間の森羅万象における根本原理であると考えられるようになった。五行説と干支[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/32/Wuxing.svg/250px-Wuxing.svg.png)
時刻と方角[編集]
干支は、時刻や方位、角度を表すのにも用いられる。時刻[編集]
時刻については、現代の23時から翌1時までを子の刻とし、以下、丑、寅、…と続いて、11時から13時までを午の刻とした。現在、夜0時を﹁子夜﹂、昼12時を﹁正午﹂、正午より前を﹁午前﹂、正午より後を﹁午後﹂と称するのは、これに由来する。怪談などで用いられる﹁草木も眠る丑三ツどき﹂とは今日でいう午前2時半ごろのことである。 なお、日本で初めて中国伝来の暦日を遵用して、時刻に十二支を配し、子を真夜中としたのは推古天皇12年︵604年、甲子の年︶の正月のことであった[8]とされる。平安時代の延喜年間に編纂が始まり延長5年︵927年︶に完成した﹁延喜式﹂でも、宮中の諸門の開閉や日の出、日の入りの時刻について、﹁申四刻六分﹂のように十二支を用いて示している。方位[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/53/Model_Si_Nan_of_Han_Dynasty.jpg/350px-Model_Si_Nan_of_Han_Dynasty.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/China_24_cardinal_directions.svg/350px-China_24_cardinal_directions.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/96/Ehou-direction.png/290px-Ehou-direction.png)
十干は、五行説によって説明されるようになると五行が表す方位である五方と結び付けられた。さらに、後には十二支や、易における八卦を交えて細かい二十四山が用いられるようになった。
十二支では、東を卯、西を酉、南を午、北を子の方位としている。東西を結ぶ線(緯線とは厳密には異なる)を「卯酉線(ぼうゆうせん)」、南北を結ぶ線(経線に相当)を「子午線」、経度0度のロンドンのグリニッジ天文台を通る経線を「本初子午線」と呼ぶのは、これに由来する。
四隅については、北東・南東・南西・北西がそれぞれ「うしとら」[注釈 16]、「たつみ」[注釈 17]、「ひつじさる」、「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「艮(ごん)」、「巽(そん)」、「坤(こん)」、「乾(けん)」の字を充当している。指南の実物を見るかぎり、南を指すためのレンゲの形状の磁石を置いた板の模様は、六壬神課で使用する式盤の地盤の形状に酷似している。
なお、二十四山(下表参考)では、十干のうちの戊・己は用いられない。したがって、十干のうちの8、十二支の12、八卦のうちの4を合わせての24方位となる。
漢字 | 中国語 | 日本語(音) | 日本語(訓) | 角度 | 方位 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 子 | zǐ/ㄗˇ | し | ね | 0° | 北 |
2 | 癸 | guǐ /ㄎㄨㄟˊ | き | みずのと | 15° | 北北東微北 |
3 | 丑 | chǒu /ㄔㄡˇ | ちゅう | うし | 30° | 北北東微東 |
4 | 艮 | gèn/ㄍㄣˋ | ごん | うしとら | 45° | 北東 |
5 | 寅 | yín /ㄧㄣˇ | いん | とら | 60° | 東北東微北 |
6 | 甲 | jiǎ /ㄐㄧㄚˇ | こう | きのえ | 75° | 東北東微東 |
7 | 卯 | mǎo /ㄇㄠˇ | ぼう | う | 90° | 東 |
8 | 乙 | yǐ /ㄧˇ | いつ | きのと | 105° | 東南東微東 |
9 | 辰 | chén /ㄔㄣˊ | しん | たつ | 120° | 東南東微南 |
10 | 巽 | xùn /ㄒㄩㄣˋ | そん | たつみ | 135° | 南東 |
11 | 巳 | sì /ㄙˋ | し | み | 150° | 南南東微東 |
12 | 丙 | bǐng /ㄅㄧㄥˇ | へい | ひのえ | 165° | 南南東微南 |
13 | 午 | wǔ /ㄨˇ | ご | うま | 180° | 南 |
14 | 丁 | dīng /ㄉㄧㄥˉ | てい | ひのと | 195° | 南南西微南 |
15 | 未 | wèi /ㄨㄟˋ | み | ひつじ | 210° | 南南西微西 |
16 | 坤 | kūn /ㄎㄨㄣˉ | こん | ひつじさる | 225° | 南西 |
17 | 申 | shēn /ㄕㄣˉ | しん | さる | 240° | 西南西微南 |
18 | 庚 | gēng /ㄍㄥˉ | こう | かのえ | 255° | 西南西微西 |
19 | 酉 | yǒu /ㄧㄡˇ | ゆう | とり | 270° | 西 |
20 | 辛 | xīn /ㄒㄧㄣˉ | しん | かのと | 285° | 西北西微西 |
21 | 戌 | xū /ㄒㄩˉ | じゅつ | いぬ | 300° | 西北西微北 |
22 | 乾 | qián /ㄑㄧㄢˊ | けん | いぬい | 315° | 北西 |
23 | 亥 | hài /ㄏㄞˋ | がい | い | 330° | 北北西微西 |
24 | 壬 | rén /ㄖㄣˋ | じん | みずのえ | 345° | 北北西微北 |
干支にかかわる伝承や俗信[編集]
干支が十二獣や陰陽五行思想と結びついたことで、さまざまな伝承や俗信が生まれたが、日本に伝来すると日本固有のものとも習合して独自の俗信を生んでいった。中には、申︵さる︶の日は﹁去る﹂と通じるので結婚式を行わないなどというものもあった。還暦[編集]
数え年の61歳は、生まれた年(数え年では本来的には生誕直後から1歳となる)の干支に戻るので、﹁暦が還︵かえ︶った﹂という意味で﹁還暦︵かんれき︶﹂といい、歳をとる正月には、公私ともに正式に隠居して長寿の祝いをした︵東洋にあっては誕生日の概念は乏しかった︶。この年齢に達すると親族などが赤い頭巾やちゃんちゃんこを贈るのは、もう一度赤ちゃんに戻って﹁生まれ直す﹂という意味合いをこめている[9]。現在は、満60歳の誕生日や60周年に還暦の祝いをすることが多い。2周︵120年︶した場合は大還暦という。 中国では﹁花甲﹂、日本と同じように60年の長寿を祝い、無病息災を願う習慣が今も続いている。辛酉革命、甲子革令[編集]
中国漢代緯書にみえる予言説︵讖緯︶である。中国よりもむしろ日本で信じられた。 辛酉は天命が改まる年とされ、王朝が交代する革命の年で辛酉革命という。日本では、平安時代に政治的変革が起るのを防ぐ目的で、三善清行の提唱によって、辛酉年の昌泰4年︵901年︶が﹁延喜﹂と改元された。それ以来、日本では慶応に至るまで、辛酉年と前年の庚申年の2年続きで改元が実施されたが、中国ではこのような例はない。 また、﹃日本書紀﹄では、神武天皇が即位したとする年を西暦紀元前660年の辛酉の年に充てている。これについて、明治時代の歴史学者那珂通世は、﹃緯書﹄にある鄭玄の注に、1260年に一度︵干支一周の60年︵1元︶×21元=1260年=1蔀︶の辛酉年には大革命が起こるとの記述があり、推古天皇9年︵601年︶がその年に充たることから、この1260年前にあたる西暦紀元前660年を即位年に充てたとの説を立てた。また、1320年︵60年×22回=1320年︶周期説を採用する学者もあり、その場合、辛酉の3年後に充たる甲子年が革令︵甲子革令︶の年であり、白村江の戦いの翌年の甲子年︵西暦664年︶が基点とされる。 甲子革命については、中国でも、後漢末に太平道の教祖張角は光和3年︵180年︶に﹁蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉︵﹃後漢書﹄71巻 皇甫嵩朱鑈列傳 第61皇甫嵩伝[10]︶﹂、蒼天︵漢朝︶已に死す 黄天︵黄巾党︶當に立つべし 歳は﹁甲子﹂に在り 天下大吉︶とのスローガンを発しており、干支に基づく易姓革命を意識して光和7年︵184年︶という甲子の年に黄巾の乱を起こした史実がある。庚申[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b2/K%C5%8Dshinkuy%C5%8Dt%C5%8D%2C_Iseyama%2C_Fujisawa%2C_Kanagawa.jpg/270px-K%C5%8Dshinkuy%C5%8Dt%C5%8D%2C_Iseyama%2C_Fujisawa%2C_Kanagawa.jpg)
丙午[編集]
陰陽五行説によれば、丙も午もともに剛強なる陽であって火の性格をもち、中国ではその年は火災が多いなどといわれていた。 それが日本では、八百屋お七が丙午の年︵1666年︶生まれたという風説があった[注釈 19]ところから、丙午の年に生まれた女性は気性が激しく、夫の運勢を圧倒して連れ合いを短命にするという俗信に変化した[注釈 20]。これは男性中心主義の見方であり、迷信俗説に類するものであるが、日本では丙午年の出産が避けられて、新生児の数が他の干支の年よりも少なかった。この迷信は戦後になっても残り、1966年の出生数は、前年比で45万人減少した136万人だった。その反動もあり、翌年の丁未の年は新生児の数が例年よりおよそ57万人増え、193万人となった。なお、同様に火の重なる丁巳︵ひのとみ︶は八専の一つである。強の寅[編集]
五黄の寅参照。干支と年中行事[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3e/Japanese_Festival_in_Honor_of_the_Birth_of_Children.jpg/270px-Japanese_Festival_in_Honor_of_the_Birth_of_Children.jpg)
選日[編集]
天赦日[編集]
干支相生の日とされた天赦日は、﹁よろずよし﹂の大吉日と考えられてきた。春︵立春から立夏前まで︶は戊寅、夏︵立夏から立秋前まで︶は甲午、秋︵立秋から立冬前まで︶は戊申、冬︵立冬から立春前まで︶は甲子の日である。三隣亡(さんりんぼう)[編集]
選日のひとつ。1月・4月・7月・10月の亥の日、2月・5月・8月・11月の寅の日、3月・6月・9月・12月の午の日を三隣亡という。棟上げなど建築に関することの凶日とされる。
十方暮(じっぽうくれ)[編集]
選日のひとつ。干支21番目の甲申の日から30番目の癸巳の日までの10日間を凶とした。
三伏(さんぶく)[編集]
それ以外の選日[編集]
それ以外の選日に次のものがあり、いずれも干支が用いられる。 ●八専 ●不成就日 ●天一天上 ●一粒万倍日 ●犯土︵大土・小土︶ ●臘日干支と占い[編集]
漢代には易の解釈学として象数易が流行し、そこでは、易の卦や、それを構成する爻に、十二月、十二支、二十四節気、五行、方位などが配当されて、複雑な理論が編み出された。 特に八卦と干支が結びついて占いに用いたものとして、納甲がある[注釈 23]。完成は前漢代の京房によるといわれており、三国時代の呉の虞翻らによって継承された。後には十二支も易に用いられるようになり、八卦の各爻に干支が当てはめられた。唐の李淳風は﹃周易元義﹄で八卦六位図を伝えている。 一方、納音は、陰陽五行説や中国古代の音韻理論を応用し、形容詞を付加して30に干支を分類したものである。生まれ年の納音は、その人の運命を判断するのに用いられた[注釈 24]。 納音において凶日とされたのが五墓日であった。戊辰の日、壬辰の日、丙戌の日、辛丑の日、乙未の日がそれで、家作りは構わないが、動土・地固め・葬式・墓作り・播種・旅行・祈祷などは凶とされた。その名から、この日に葬式などを行うと、墓を5つ並べるといって忌むことがあった。十二直[編集]
現代における干支占い[編集]
現代において干支占いは、血液型性格分類や占星術と比べてマイナーである。血液型や星座は個人のプロフィールによく記述されるが、干支は記載されないことが多い。 心理学者でもあった増永篤彦によって行われた、生日の干支において干から支にひいた十二運とある種の性格分類に相関があるとする研究は、動物占いや動物占いの動物キャラクターを別のもので置き換えた様々な占いに無断で流用されている。干支の求め方[編集]
年の干支[編集]
ある年を西暦︵あるいは皇紀︶で表した値を10で割った余り、すなわち一の位を求め、下表から十干を割り出す。余り(一の位) | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
十干 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 | 甲 | 乙 | 丙 | 丁 | 戊 | 己 |
同様に、西暦(あるいは皇紀)で表した値を12で割った余りを求め、下表から十二支を割り出す。
余り | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
十二支 | 申 | 酉 | 戌 | 亥 | 子 | 丑 | 寅 | 卯 | 辰 | 巳 | 午 | 未 |
月の干支[編集]
十二支は月と同じ12個なので、月の十二支は毎年同じになる。十干は10個なので、十二支と組み合わせると、太陽暦では5年︵60か月︶周期で月の同じ干支が繰り返されることになる。西暦年の下1桁 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
甲と己(4,9) | 丁丑 | 丙寅 | 丁卯 | 戊辰 | 己巳 | 庚午 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 |
乙と庚(5,0) | 己丑 | 戊寅 | 己卯 | 庚辰 | 辛巳 | 壬午 | 癸未 | 甲申 | 乙酉 | 丙戌 | 丁亥 | 戊子 |
丙と辛(6,1) | 辛丑 | 庚寅 | 辛卯 | 壬辰 | 癸巳 | 甲午 | 乙未 | 丙申 | 丁酉 | 戊戌 | 己亥 | 庚子 |
丁と壬(7,2) | 癸丑 | 壬寅 | 癸卯 | 甲辰 | 乙巳 | 丙午 | 丁未 | 戊申 | 己酉 | 庚戌 | 辛亥 | 壬子 |
戊と癸(8,3) | 乙丑 | 甲寅 | 乙卯 | 丙辰 | 丁巳 | 戊午 | 己未 | 庚申 | 辛酉 | 壬戌 | 癸亥 | 甲子 |
日の干支[編集]
ユリウス通日に49を加えて60で割った余りに1を加えると、上表(﹁干支﹂のページ、一番上の右側に表示) に示した数字となる。 検表法十干 | A 甲 |
B 乙 |
C 丙 |
D 丁 |
E 戊 |
F 己 |
G 庚 |
H 辛 |
I 壬 |
J 癸 |
天 干 |
干 支 紀 日 速 查 表 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
世紀 | 日付 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 年 | ||||||||||||||||||||
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | |||||||||||||||||||||||
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | |||||||||||||||||||||||
31 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
16 | ユリウス | 08 | A | B | C | D | E | F | G | H | I | J | 00 | 02 | 21 | 23 | 40 | 42 | 61 | 63 | 80 | 82 | ||||||||||
23 | 02 | 06 | 07 | J | A | B | C | D | E | F | G | H | I | 04 | 06 | 25 | 27 | 44 | 46 | 65 | 67 | 84 | 86 | |||||||||
18 | 01 | 04 | 05 | 02 | I | J | A | B | C | D | E | F | G | H | 08 | 10 | 29 | 31 | 48 | 50 | 69 | 71 | 88 | 90 | ||||||||
20 | 03 | 01 | H | I | J | A | B | C | D | E | F | G | 12 | 14 | 33 | 35 | 52 | 54 | 73 | 75 | 92 | 94 | ||||||||||
G | H | I | J | A | B | C | D | E | F | 16 | 18 | 37 | 39 | 56 | 58 | 77 | 79 | 96 | 98 | |||||||||||||
22 | F | G | H | I | J | A | B | C | D | E | 01 | 03 | 20 | 22 | 41 | 43 | 60 | 62 | 81 | 83 | ||||||||||||
17 | 24 | E | F | G | H | I | J | A | B | C | D | 05 | 07 | 24 | 26 | 45 | 47 | 64 | 66 | 85 | 87 | |||||||||||
D | E | F | G | H | I | J | A | B | C | 09 | 11 | 28 | 30 | 49 | 51 | 68 | 70 | 89 | 91 | |||||||||||||
19 | 11 | 12 | C | D | E | F | G | H | I | J | A | B | 13 | 15 | 32 | 34 | 53 | 55 | 72 | 74 | 93 | 95 | ||||||||||
21 | 09 | 10 | B | C | D | E | F | G | H | I | J | A | 17 | 19 | 36 | 38 | 57 | 59 | 76 | 78 | 97 | 99 | ||||||||||
十二支 | A 子 |
B 丑 |
C 寅 |
D 卯 |
E 辰 |
F 巳 |
G 午 |
H 未 |
I 申 |
J 酉 |
K 戌 |
L 亥 |
地 支 | |||||||||||||||||||
世紀 | 日付 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 年 | ||||||||||||||||||
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | |||||||||||||||||||||
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | ||||||||||||||||||||||||||
ユリウス | 11 | A | B | C | D | E | F | G | H | I | J | K | L | 00 | 07 | 16 | 23 | 32 | 39 | 48 | 55 | 64 | 71 | 80 | 87 | 96 | ||||||
20 | 23 | 09 | L | A | B | C | D | E | F | G | H | I | J | K | 14 | 30 | 46 | 62 | 78 | 94 | ||||||||||||
17 | K | L | A | B | C | D | E | F | G | H | I | J | 05 | 21 | 37 | 53 | 69 | 85 | ||||||||||||||
07 | J | K | L | A | B | C | D | E | F | G | H | I | 03 | 12 | 19 | 28 | 35 | 44 | 51 | 60 | 67 | 76 | 83 | 92 | 99 | |||||||
24 | 01 | 05 | I | J | K | L | A | B | C | D | E | F | G | H | 10 | 26 | 42 | 58 | 74 | 90 | ||||||||||||
21 | 01 | 03 | H | I | J | K | L | A | B | C | D | E | F | G | 01 | 17 | 33 | 49 | 65 | 81 | 97 | |||||||||||
18 | 12 | G | H | I | J | K | L | A | B | C | D | E | F | 08 | 15 | 24 | 31 | 40 | 47 | 56 | 63 | 72 | 79 | 88 | 95 | |||||||
10 | F | G | H | I | J | K | L | A | B | C | D | E | 06 | 22 | 38 | 54 | 70 | 86 | ||||||||||||||
08 | E | F | G | H | I | J | K | L | A | B | C | D | 13 | 29 | 45 | 61 | 77 | 93 | ||||||||||||||
22 | 02 | 06 | D | E | F | G | H | I | J | K | L | A | B | C | 04 | 11 | 20 | 27 | 36 | 43 | 52 | 59 | 68 | 75 | 84 | 91 | ||||||
16 | 19 | 02 | 04 | C | D | E | F | G | H | I | J | K | L | A | B | 02 | 18 | 34 | 50 | 66 | 82 | 98 | ||||||||||
B | C | D | E | F | G | H | I | J | K | L | A | 09 | 25 | 41 | 57 | 73 | 89 |
- グレゴリオ暦の公式:干支数 = (10 + [年/400] - [年/100] + 年 mod 80 x 5 + [年 mod 80/4] + 月値(m) + 日(d)) mod 60。
- ユリウス暦の公式:干支数 = (8 + 年 mod 80 x 5 + [年 mod 80/4] + 月値(m) + 日(d)) mod 60。
月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 月
値m
00 31 -1 30 00 31 01 32 03 33 04 34 閏年 -1 30 mを求める公式 ([30.6(M - 3) + 0.4] - 1) mod 60
- 例1: 2000年1月1日
- c = 10 + [20/4] - 20 = -5
- y = 2000 mod 80 x 5 + [2000 mod 80/4] = 0
- 干支数 = (c + y + m + d) mod 60
- 干支数 = (-5 + 0 - 1 + 1) mod 60 = 55
- 干支は戊午である。
- 例2: 紀元前4713年1月1日
- c = 8
- y = -4712 mod 80 x 5 [-4712 mod 80/4] = 42
- 干支数 = (8 + 42 - 1 + 1) mod 60 = 50
- 干支は癸丑である。
干支一覧[編集]
「五行」は十干、十二支それぞれの五行をあらわす。なお、十干が「弟(と)」の場合だけ、十干と十二支の間に「の」を入れて読むのが慣例である。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
![ウィキソース出典](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/15px-Wikisource-logo.svg.png)
参考文献[編集]
●飯倉晴武﹃日本人のしきたり﹄青春出版社︿青春新書﹀、2003年1月。ISBN 4-413-04046-5。 ●今井宇三郎﹃宋代易学の研究﹄明治図書出版、1958年。 ●宇治谷孟﹃日本書紀︵下︶﹄講談社︿講談社学術文庫﹀、1988年8月。ISBN 4-06-158834-6。 ●木村英一﹃中国的実在観の研究―その学問的立場の反省﹄弘文堂書房、1948年1月。ASIN B000JBMKV2。 ●小林信明﹃中国上代陰陽五行説思想の研究﹄大日本雄弁会講談社、1951年11月。 ●武田幸男﹃朝鮮史﹄山川出版社︿世界各国史﹀、2000年8月。ISBN 4-634-41320-5。 ●能田忠亮﹁かんし︵干支︶﹂﹃日本歴史大辞典3かた―き﹄河出書房新社、1979年11月。 ●福井康順﹁えと︵干支︶﹂﹃日本歴史大辞典2え―かそ﹄河出書房新社、1979年11月。 ●薮内清﹃歴史はいつ始まったか―年代学入門﹄中央公論新社︿中公新書﹀、1980年1月。ISBN 4-12-100590-2。関連文献[編集]
●五十嵐謙吉﹃十二支の動物たち﹄八坂書房、1998年11月、ISBN 4-89694-424-0 ●石上七鞘﹃十二支の民俗伝承﹄おうふう、2003年4月、ISBN 4-273-03272-4 ●井本栄一﹃十二支動物の話-子丑寅卯辰巳篇﹄法政大学出版局、1999年12月、ISBN 4-588-35218-0 ●大西正男﹃十干十二支の成立の研究﹄大西先生論文発刊会、1975年 ●大場磐雄﹃十二支︵えと︶と十二獣︵どうぶつ︶﹄北隆館、1996年10月、ISBN 4-8326-0390-6 ●奥野彦六﹃干支紀年考﹄酒井書店、1976年 ●加藤大岳﹃干支暦抄﹄紀元書房、1953年 ●橋川禿﹃十二支神獣の信仰―十二支の民俗学﹄無聞舎、1975年 ●邦光史郎﹃干支から見た日本史﹄毎日新聞社、1996年7月、ISBN 4-620-31122-7 ●白川静﹃甲骨文の世界﹄平凡社︿平凡社東洋文庫﹀1972年2月、ISBN 4-582-80204-4 ●杉山福一郎 ﹃干支見方読方一覧―古文書解読研究資料﹄1983年10月 ●竹内照夫﹃干支物語﹄社会思想社︿現代教養文庫﹀1971年1月、ISBN 4-390-10713-5 ●中村清兄﹃宇宙動物園―干支のルーツを探る﹄法政大学出版局、1983年1月、ISBN 4-588-35205-9 ●南方熊楠﹃十二支考︿上﹀﹄岩波書店︿岩波文庫﹀1994年1月、ISBN 4-00-331391-7 ●南方熊楠﹃十二支考︿下﹀﹄岩波書店︿岩波文庫﹀1994年1月、ISBN 4-00-331392-5 ●水上静夫﹃干支の漢字学﹄大修館書店︿あじあブックス﹀1998年12月、ISBN 4-469-23147-9 ●諸橋轍次﹃十二支物語﹄大修館書店、1989年12月、ISBN 4-469-23049-9 ●安岡正篤﹃干支の活学―安岡正篤 人間学講話﹄プレジデント社、1989年11月、ISBN 4-8334-1357-4 ●柳宗玄﹃十二支のかたち﹄岩波書店、1995年2月、ISBN 4-00-260214-1 ●薮内清﹃中国の天文暦法﹄平凡社、1990年11月、ISBN 4-582-50502-3 ●吉野裕子﹃十二支―易・五行と日本の民俗﹄人文書院、1994年7月、ISBN 4-409-54046-7 ●陽史明﹃最新四柱推命理論 十干と生月﹁窮通宝鑑﹂﹄遊タイム出版、2006年12月、ISBN 4-86010-207-X関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 日本の暦(国立国会図書館)
- 暦注計算(こよみのページ)
- 60干支計算(月のうらないがく)
- 西暦和年号干支対照一覧 (10000年カレンダー)