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﹃続漢書﹄︵ぞくかんじょ[1]、しょくかんじょ[2]︶は、中国西晋の司馬彪が編纂した、後漢に関する紀伝体の歴史書。
范曄﹃後漢書﹄には志が欠けていたため、のちに﹃続漢書﹄の志が合刻されるようになった。多くは散佚したが、志の部分はよく残っている。
范曄の﹃後漢書﹄︵5世紀︶に先行する、八家後漢書︵中国語版︶︵あるいは七家後漢書︶と呼ばれる後漢についての歴史書の一つである。
光武帝から献帝に至る歴史を記した紀伝体の歴史書で、83巻︵帝紀9巻、志8巻、列伝65巻、叙篇1巻︶からなっていた。裴松之が﹃三国志﹄に注釈を行う際にも引用している。劉勰は﹃文心雕龍﹄において、﹃続漢書﹄を﹁詳実﹂であると高く評価している。唐の李賢︵章懐太子︶も、﹃後漢書﹄の注釈にあたって﹃続漢書﹄から多くの引用を行っている。
その後、﹃続漢書﹄の本紀や列伝などは散佚してしまったが、後述の通り﹃後漢書﹄と合刻されるようになった志はよく残っている。
清の汪文台︵中国語版︶らは、散逸した後漢の史書の逸文を集めた﹃七家後漢書﹄を編纂した。﹃続漢書﹄についても、散佚した本紀・列伝について、諸書に引用された逸文が収集され、﹃続漢書﹄5巻となっている。
﹃後漢書﹄との関係[編集]
范曄が編纂した﹃後漢書﹄は本紀と列伝のみで、志を欠いていた。
南朝梁の劉昭は、范曄の﹃後漢書﹄に注釈を付して﹃集注後漢﹄を編纂した際に、﹃後漢書﹄に欠けた志を補うため、﹃続漢書﹄の8志︵律暦・礼儀・祭祀・天文・五行・郡国・百官・輿服︶を30巻に分けた上で組み込んだ。この﹃集注後漢﹄も志を除いて散逸した。
宋代に、﹃後漢書﹄の志として﹃続漢書﹄の志を合刻するようになった。
(一)^ “﹃続漢書﹄について知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2017年6月10日閲覧。
(二)^ “漢書”. デジタル大辞泉︵コトバンク所収︶. 2017年6月10日閲覧。
関連項目[編集]
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
後漢書