荒牧聖未
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個人情報 | ||||
本名 |
荒牧 聖未 あらまき さとみ | |||
生年月日 | 1990年4月28日(34歳) | |||
国籍 | 日本 | |||
身長 | 167.6cm | |||
体重 | 58.4kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 日本競輪選手会栃木支部 | |||
期別 | 102期 | |||
登録地変遷 | ||||
2012年 - | 日本競輪選手会栃木支部 | |||
最終更新日 2021年3月3日 |
荒牧 聖未︵あらまき さとみ、1990年4月28日 - ︶は、栃木県日光市出身[1]の元女子アイスホッケー選手で、現在は日本競輪選手会栃木支部所属の女子競輪選手。日本競輪学校︵当時。以下、競輪学校︶第102期生。師匠は大橋徹︵第72期生︶。
来歴[編集]
実父は、元競輪選手の荒牧友一︵競輪学校第39期生︶。 日光市立日光中学校、東京女子学院高校を経て、日本体育大学体育学部体育学科︵日体大︶に進学する傍ら、女子アイスホッケーチームのSEIBUプリンセス ラビッツに所属し[2]、全日本女子アイスホッケー選手権大会で優勝に貢献。また、アイスホッケー女子日本代表としてバンクーバーオリンピック予選にも出場した。 その後、日体大を中退し、競輪学校第102回︵女子第1期︶試験に合格[3]、ガールズケイリンの1期生となった。同校在校競走成績は27勝を挙げ第4位[4]。 2012年5月1日、日本競輪選手会栃木支部所属の競輪選手として登録された。7月1日に平塚競輪場でデビューし3着。初勝利は同年8月4日の京王閣競輪場[5]。初優勝は同年9月17日の広島競輪場で挙げた[6]。 ガールズケイリン特別競走[7]では、デビュー年である2012年12月28日に開催された第1回ガールズグランプリ︵京王閣︶出場選手に選出され[8]、2着となった。ガールズグランプリは出場は第1回のみだが、ガールズケイリンフェスティバルでは過去に第3回︵2016年︶と第4回︵2017年︶で決勝に進出した。また、ガールズケイリンコレクションでは2015年6月岸和田ステージで初出場も落車棄権となったが、2017年3月高松ステージでは6着、続く5月京王閣ステージでは2着となる。その後は暫く途絶えたが、2021年5月京王閣ステージ出場権を賭けたトライアルレース︵平塚︶で決勝2着に入り出場権を獲得、4年ぶりに出場を決める[9]。同レースでは佐藤水菜を追走するも交わせず2着となったが、京王閣競輪場でのビッグレースは自身2着が3度目と相性の良さを見せつけた[10]。 2021年10月19日、青森FII︵ミッドナイト︶2日目第1レースで1着となり、ガールズケイリン史上8人目となる通算300勝を達成。デビューから9年3か月18日であった[11]。脚注[編集]
(一)^ ︻gan well pro︼ピストバイク・ガールズケイリンの荒牧聖未選手 - 日光の“かみやま自転車店”店長気まぐれ雑記 2011年3月1日付
(二)^ 東京都女子アイスホッケーリーグSEIBUプリンセスラビッツ−後楽園女子 - 劇団天野屋 part3 2010年1月11日付
(三)^ 日本競輪学校女子第1回生徒入学試験合格者名簿 - KEIRIN.JP
(四)^ 競走成績戦法別一覧表 (PDF) - KEIRIN.JP
(五)^ 2012/08/04︵初日︶第6レースA級ガールズ予選1 - KEIRIN.JP
(六)^ 2012/09/17︵最終日︶第11レースA級ガールズ決勝 - KEIRIN.JP
(七)^ “ガールズケイリン特別競走でMINMIとのコラボ曲である新テーマソングが起用!”. ガールズケイリン情報配信サイト (2019年12月17日). 2019年12月17日閲覧。
(八)^ ﹃ガールズグランプリ2012︻FII︼﹄出場予定選手の決定について - KEIRIN.JP 10月23日付
(九)^ “尾崎睦が地元V!京王閣ガルコレ出場選手決定/平塚”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年1月30日) 2021年1月31日閲覧。
(十)^ “荒牧聖未またも頂点に届かず…当地ビッグレース3度目2着/京王閣”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年5月6日) 2021年5月7日閲覧。
(11)^ “荒牧聖未が通算300勝﹁進化して自分も強くなりたい﹂/青森ミッド”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年10月19日) 2021年10月20日閲覧。
外部リンク[編集]
- 選手情報: 荒牧 聖未 - KEIRIN.JP