菊地勇樹
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引退 | |
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ポジション | フォワード |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1980年8月7日(43歳) |
出身地 | 秋田県 |
身長(現役時) | 192cm (6 ft 4 in)[1] |
体重(現役時) | 85kg (187 lb)[1] |
キャリア情報 | |
ドラフト | 2010年 ドラフト外 |
選手経歴 | |
2010-2013 | 秋田ノーザンハピネッツ |
菊地 勇樹︵きくち ゆうき、1980年8月7日 - ︶は、日本のバスケットボール選手である。ポジションはフォワード。素早い動作から放たれるスリーポイントショットを得意とした[2]。
秋田県出身。1996年から1998年にかけて秋田県立能代工業高等学校バスケットボール部に所属し、同級生の田臥勇太、若月徹と共にインターハイ・国体・ウィンターカップの3年連続3冠制覇に貢献した[2]。
2010年から、2013年6月に引退するまで秋田ノーザンハピネッツに所属し、2011年から2012年のシーズンには活躍が評価されコミッショナー特別賞を受賞した[3]。
来歴[編集]
1980年、秋田県南秋田郡飯田川町︵後の潟上市︶に生まれる。羽城中学校3年時に全国中学校体育大会に出場し、同級生の高橋憲一らとともにベスト16入り。既に身長190cmに達していたこともあり、当時のポジションはセンターであった[2]。 高校進学にあたっては福井の北陸高校から勧誘があり、同高OBの佐古賢一からも電話で直接誘われたが、地元の名門能代工業高校に進学した[2]。入学直後に監督の加藤三彦によってセンターからフォワードにコンバートされ、シューターに転身。スリーポイントシュートを武器に田臥勇太、若月徹と共に3年連続3冠に貢献し[2]、ジュニア日本代表にも選ばれ世界選手権も経験した。 高校卒業後は専修大学に進み[2]、4年時には同期の青木康平らとともにインカレ初優勝を達成し、ヤングメンアジア選手権にも出場した。大学卒業後は秋田で就職するとともに、クラブチームの三種体協琴丘[4]で競技を続け[2]、2008年にオールジャパン出場。1回戦で高校の後輩でもある梁川禎浩擁する筑波大学、2回戦でJBL2に所属していた千葉ピアスアローバジャーズを降し3回戦まで進んだ[5]。一方でクラブ日本一も経験し、国体秋田選抜にも名を連ねた。 2010年、秋田ノーザンハピネッツ設立と共に、ドラフト外で入団[6]。初年度は出場時間158分に留まり、得意の3ポイントショットも成功13本、成功率20.3%に過ぎなかった。しかし2年目は出場時間1154分と飛躍的に増加、3ポイントシュートも成功114本、成功率31.6%まで上昇。コミッショナー特別賞を受賞した[3]。 3年目となる2012-13シーズン、2012年10月13日の開幕戦で18得点を挙げMVPに選ばれる幸先の良いスタートを切った[7]。しかしその後は怪我の影響もあり出場時間を伸ばせず[8][9]、チームもプレイオフセミファイナルで敗れた。そしてシーズン終了後の2013年6月、本人の希望により現役を引退した[10]。引退後は三種体協琴丘に復帰している[11]。日本代表歴[編集]
- 1998年アジアジュニア選手権
- 1999年世界ジュニア選手権
- 2000年ヤングメンアジア選手権
記録[編集]
略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
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2010-11 | 秋田 | 34 | 1 | 4.6 | .192 | .203 | 1.000 | 0.3 | 0.3 | 0.1 | 0.0 | 1.4 |
2011-12 | 秋田 | 52 | 23 | 22.2 | .372 | .361 | .792 | 1.5 | 1.4 | 0.7 | 0.0 | 8.0 |
2012-13 | 秋田 | 48 | 20 | 15.4 | .350 | .355 | .784 | 1.6 | 0.9 | 0.5 | 0.0 | 5.3 |