萩原恭次郎
萩原 恭次郎︵はぎわら きょうじろう、1899年︵明治32年︶5月23日 - 1938年︵昭和13年︶11月22日︶は、大正・昭和時代の詩人。大正末期の芸術革命の先頭に立ち、はじめはダダイストとして活動したが、のちアナーキズム運動に傾倒。若くしてこの世を去った。詩集﹃死刑宣告﹄、詩篇﹁もうろくずきん﹂﹁亜細亜に巨人あり﹂などの作品で知られる。本姓は金井︵養子になったことによる︶。
略歴[編集]
●1899年 群馬県勢多郡南橘村︵現前橋市︶生まれ。 ●1916年 萩原朔太郎との交友が始まる。 ●1918年 前橋中学校卒業。川路柳虹の﹃現代詩歌﹄に参加。 ●1920年 群馬銀行入行。詩話会会員になる ●1922年 群馬銀行を退行し上京。正光社に入社し編集者として働き始める。 ●1923年 ﹃赤と黒﹄創刊。同人に壺井繁治、岡本潤、川崎長太郎。のち林政雄、小野十三郎が参加。 ●1925年 ﹃マヴォ﹄第五号から編集に参加。詩集﹃死刑宣告﹄を上梓。 ●1932年 ﹃クロポトキンを中心とした芸術の研究﹄創刊 ●1938年 溶血性貧血で病死。享年40。墓所は前橋市林倉寺。戒名は宝積院哲茂恭謳居士[1]。主な詩集[編集]
- 第一詩集『死刑宣告』(1925年10月18日、長隆舎書店、装幀・岡田龍夫)
- 第二詩集『断片』(1931年、渓文社)
- 『萩原恭次郎全詩集』(1968年、思潮社)
- 『萩原恭次郎全集』(1980年、静地社)
脚注[編集]
- ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)184頁
関連項目[編集]
- 萩原朔太郎:同姓同郷だが血縁関係はない
- 村山知義
- 伊藤信吉 - 「萩原恭次郎の世界」(川浦三四郎共編、煥乎堂)がある
- 高橋元吉(詩人、煥乎堂元社長)- 推薦で煥乎堂社員として働いたことがあった。
- ピョートル・クロポトキン