賀来神社
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賀来神社 | |
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所在地 | 大分県大分市大字賀来58 |
位置 | 北緯33度12分24.4秒 東経131度33分42.1秒 / 北緯33.206778度 東経131.561694度座標: 北緯33度12分24.4秒 東経131度33分42.1秒 / 北緯33.206778度 東経131.561694度 |
主祭神 | 武内宿禰命、建磐龍命 |
社格等 | 県社 |
創建 | 836年(852年とも) |
別名 | 善王宮 |
例祭 | 毎年9月1日~7日(卯年・酉年は11日まで) |
地図 |
賀来神社︵かくじんじゃ︶は大分県大分市賀来にある神社。旧県社[1]。ここでは、神奈川県藤沢市に分祀された﹁鵠沼賀来神社﹂︵くげぬまかくじんじゃ、旧郷社︶についても言及する。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/%E8%B3%80%E6%9D%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E5%A4%A7%E5%88%86%EF%BC%89%E5%85%A5%E5%8F%A3.jpg/300px-%E8%B3%80%E6%9D%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E5%A4%A7%E5%88%86%EF%BC%89%E5%85%A5%E5%8F%A3.jpg)
賀来神社の入口。左は大分川、奥は大分市立賀来小中学校
●武内宿禰命︵例祭時のみ。平時は柞原八幡宮に鎮座。︶
●建磐龍命
賀来神社 (大分市)[編集]
概要[編集]
承和3年︵836年、出典により852年とも︶、豊後国一宮の柞原八幡宮の摂社﹁善王宮﹂として創建[2][3]。これを賀来荘の大分川沿いに遷座し、貞観11年︵869年︶﹁賀来神社﹂と称したのが起源とされる[4]。9月1日 - 7日に例祭が開かれ、大分県内で一番早い秋祭りとして﹁賀来の市﹂と称される[5]。殊に、卯の年・酉の年の例祭は、柞原八幡宮からの主神が大名行列をなして賀来神社に参られる行列神事﹁賀来の大名行列﹂が行われる[1]。なお、大名行列の年の例祭は11日間となる。祭神[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/%E8%B3%80%E6%9D%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E5%A4%A7%E5%88%86%EF%BC%89%E5%85%A5%E5%8F%A3.jpg/300px-%E8%B3%80%E6%9D%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E5%A4%A7%E5%88%86%EF%BC%89%E5%85%A5%E5%8F%A3.jpg)
賀来の市[編集]
﹁賀来の市﹂は毎年9月1日 - 7日︵大名行列の年は11日まで︶に行われる例祭である。 大名行列の起源は武内宿彌命が柞原八幡宮の八幡神の側近にあたることから、平時は、柞原八幡宮の警護にあたり、この期間のみ、柞原八幡宮から自社へ還幸する行列へと変化したものといわれている[2]。平安時代に始まったとされ[2]、明治時代に府内藩主大給松平家から大名道具を賀来神社に寄進した記録がある[5]。アクセス[編集]
●大分県道207号 大分挾間線 旧道沿い ●鉄道‥久大本線 賀来駅より徒歩 ●バス‥大分バス ﹁賀来神社前﹂最寄り。ただし、平日朝、大分市市街向きのみの運行。 ●バス‥大分バス ﹁桑原上﹂より徒歩。 ●高速道路‥東九州自動車道 大分ICより市道経由。鵠沼賀来神社[編集]
鵠沼賀来神社 | |
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所在地 | 神奈川県藤沢市鵠沼藤ケ谷3-10-19 |
位置 | 北緯35度19分18.4秒 東経139度28分56.3秒 / 北緯35.321778度 東経139.482306度 |
主祭神 | 武内宿禰命、健磐龍命、大国主命、塩土老翁、稲荷神社など |
神体 | 武内宿禰命、建磐龍命、大国主命、塩土老翁、稲荷神社 |
社格等 | 郷社 |
創建 | 1905年(明治38年) |
例祭 | 9月1日~7日 |
地図 |
概要[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/%E8%B3%80%E6%9D%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E8%97%A4%E6%B2%A2%EF%BC%89_%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E5%9E%8B%E3%81%AE%E7%9F%B3.jpg/220px-%E8%B3%80%E6%9D%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E8%97%A4%E6%B2%A2%EF%BC%89_%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E5%9E%8B%E3%81%AE%E7%9F%B3.jpg)
神奈川県藤沢市に﹁鵠沼賀来神社﹂があるが、これは江戸時代に府内藩主の大給松平家が賀来神社を江戸屋敷に分霊した﹁江戸屋敷善王宮︵賀来神社︶﹂を鵠沼駅前の一等地に鵠沼海岸別荘地の鎮守として祀るこために大給松平家に勧進し、1905年(明治38年)、鵠沼に郷社として遷座したことに由来する。なお、戦後に宗教法人化されている。
宇佐八幡よりの御分霊を戴き、九州大分県の賀来荘にて貞勲11年(西暦869年)より賀来神社 (カクジンジャ)と呼ばれてから平成十五年までには、すでに1134年が経過しました。
その後約800年、徳川時代には三河松平が賀来荘の藩主となりましたが、六代目の松平近濤(チカモト)は、敬神の心厚く、安永九年に江戸屋敷に御分霊を祀り、社殿、拝殿、神楽堂までを 建設しました。
明治時代となって、畑も人家もない荒野の鵠沼を住宅地に開発した伊東将行は、賀来神社の御神霊と、旧松平家の鳥居や灯台を文京区から鵠沼に遷座し、明治38年(1905)より、賀来神社 は鵠沼住民の郷社となりました。
賀来神社には、仁徳天皇とその御一族、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五朝に奉仕した
武内宿襦が祀られていましたが、徳川時代からは大国主命、塩土老翁に稲荷神社などが加わり、家業 繁盛に離厄、安産、経済と技能に力を付ける十三柱の御神霊が鎮座されています。 — 鵠沼賀来神社内 ﹁賀来神社の由来と御神霊﹂ 引用出典[4]
入口の銘板は波とサーフボードを模した形であり、銘は勝海舟から拝書している。
祭神[編集]
●武内宿禰命 ●建磐龍命 ●大国主命 ●塩土老翁 ●稲荷神社などアクセス[編集]
江ノ島電鉄 鵠沼駅より徒歩すぐ。脚注[編集]
(一)^ ab“賀来神社”. 大分市観光協会. 2020年1月23日閲覧。
(二)^ abc“神社人 - 賀来神社 ︵大分県︶”. 国際教養振興協会. 2020年1月23日閲覧。
(三)^ “神社人 - 賀来神社︵神奈川県︶”. 国際教養振興協会. 2020年1月23日閲覧。
(四)^ ab“賀来神社へ行ってみよう”. 鎌倉ナビ︵個人サイト︶. 2020年1月23日閲覧。
(五)^ ab“賀来の市 秋祭 6年に1度の大名行列 大分市、賀来神社 /大分”. 毎日新聞. (2017年9月3日) 2020年1月23日閲覧。