赤い旅団
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略称 | BR |
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設立 | 1969年 |
設立者 | レナト・クルチョ |
解散 | 1988年 |
種類 | テロ組織 |
法的地位 | 非合法 |
目的 | イタリアでの革命とイタリアの西欧同盟からの離脱 |
本部 | イタリアミラノ |
会員数 | 500人以上(最盛期) |
公用語 | イタリア語 |
重要人物 | マリーナ・ペトレラ |
赤い旅団︵あかいりょだん、伊‥Le Brigate Rosse︶は、イタリアの極左テロ組織。1969年に結成され[1]、イタリアでの革命とイタリアの西欧同盟からの離脱を主張して1970年代初頭から活動を開始。数多くの誘拐・殺人事件を起こし、ジャーナリストや警察官、裁判官、実業家、政治家などを殺害した。
レナト・クルチョ
1969年にトレント大学の左翼学生レナト・クルチョにより創設されたとみられ[1]、当初の主な活動はミラノやトリノでの極右勢力に反対する労働組合の支援であった。構成員は労働者と学生で、工場の設備を破壊し、工場の事務所や組合の本部に入り込んだ。
若年層の高い失業率や挙国一致体制への不満などを背景に勢力拡大を狙うが、労働者からの支持が得られず次第に過激な武力闘争に傾斜してゆく。1972年に最初の誘拐事件を起こした。ある工場長を数度にわたり拘束し最終的には解放した。
アルド・モーロ誘拐時に撮影された写真
1978年に起きたアルド・モーロ元首相誘拐暗殺事件によって世界的にその名が知られることとなった。赤い旅団からの要求に対して、モーロ元首相と当時対立関係にあったジュリオ・アンドレオッティ首相率いる当時の内閣が要求を拒否したためにモーロは殺害され、5月9日にローマ市内に停めた車の中で死体となって発見された。
なお、アンドレオッティのモーロ元首相誘拐事件への関与を暴こうとした雑誌編集者で、﹁ロッジP2﹂会員のミーノ・ペコレッリの殺害をマフィアに依頼したとして、アンドレオッティは2002年11月に殺人罪で懲役24年の有罪判決を受けた。しかし、翌年10月には逆転無罪の判決を得ている。[要出典]