越智友嗣
おち ゆうじ 越智 友嗣 | |
---|---|
出生名 |
おち ゆうじ 越智 友嗣 |
別名 | おち ゆうじ |
生誕 | 1947年2月10日(77歳) |
出身地 | 日本・京都府京都市 |
学歴 | 同志社大学法学部 |
ジャンル | フォークソング |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 |
歌 ギター ドラムス |
活動期間 | 1968年 - |
共同作業者 |
ザ・ヴァニティー はしだのりひことシューベルツ おちゆうじとニューベルツ シューベルツ.COM(シューコム) クリンカムクランカム |
越智 友嗣︵おち ゆうじ、1947年2月10日 - ︶は、日本のシンガーソングライター。はしだのりひことシューベルツのメンバーとして知られる。シューベルツ時代を中心に北山修らの詞に曲をつけた楽曲を残した。現在も平仮名表記の﹁おち ゆうじ﹂として、ライブ活動を続けている。
経歴[編集]
アマチュア時代[編集]
同志社大学在学中、1967年2月に、石塚成孝︵いしづかしげたか︶、井上博︵いのうえひろし︶と共にフォークグループ﹁ザ・ヴァニティー﹂結成。1968年9月に、コロンビアから﹁愛に吹く風﹂でデビュー。 1968年8月、京都での第3回関西フォークキャンプに参加。同年4月に東芝から﹁あなただけに﹂︵杉田二郎作詞・作曲︶でソロデビューしていた杉田二郎︵すでにジローズとして活動︶と一緒に同曲を歌う[1]。はしだのりひことシューベルツ[編集]
1968年10月、同志社大学の先輩であるはしだのりひこの呼びかけで、はしだ、ザ・ヴァニティーの井上博とジローズの杉田二郎とともに、﹁はしだのりひことシューベルツ﹂を結成[2]。ボーカル、ギターの他に、ステージでのMC、ドラムスを担当[3]。 幅広い曲想作曲能力も持ち合わせ、作詞の北山修とのコンビで﹁まわるメリーゴーランド﹂、﹁ア・ボーイ・ライクス・ア・ガール﹂、﹁あの人の口笛﹂を作曲しているほか、アルバム﹁天地創造﹂ではメンバー中最多の4曲を作曲している︵他の3人は3曲ずつである︶。また、﹁花に埋もれた恋﹂などでは自ら作詞も担当した[4]。 1970年6月のシューベルツ解散後は1971年から和泉常寛とともに、クリンカム・クランカムとして活動[5]。 また東京放送︵現・TBSテレビ︶の早朝番組﹃ヤング720﹄の司会も担当したこともある[6]。 その後、前田保︵パックンマックンの﹁△□○コビッチの作曲者﹂︶、森アニカとともに﹁スーパーリッチ﹂を結成するもメジャーデビュー目前で1974年頃に解散した(その後2009年8月6日に再集結ライブを行っている)。新たな展開[編集]
2005年、はしだのりひことエンドレスのメンバーだったこともある千田雄一とのユニット﹁おちゆうじとニューベルツ﹂を結成。様々なユニットを率いて、長野たかしらのサポートを受けて︵公式サイトでは長野を入れた3人をニューベルツとしている︶、各地でライブ活動に取り組む。バンド名の由来は越智が在籍した﹁はしだのりひことシューベルツ﹂と、千田がかつて所属した﹁ニューエデン﹂を合わせたものである。その後は中尾淳、元エンドレスの北村謙とセッションを共にすることが増えている。また、杉田二郎らともセッションを行っているという。2010年にはダウンロード販売という形で新曲﹁SAKE﹂と、シューベルツ時代の自作曲のセルフカバー﹁まわるメリーゴーランド﹂を発表。 2011年、かつてはしだのサポートとしても活動していたPAPAS源太と34年ぶりに再開し、新しいユニット﹁シューベルツ.COM︵シューコム︶﹂を結成、2013年9月4日、シングル﹁ワインカラーの汐風﹂を発売した。脚注[編集]
- ^ 1968京都フォーク・キャンプ」(1998年6月、東芝EMI)収録曲リスト
- ^ 杉田二郎プロフィール アップフロントエージェンシーサイト内
- ^ はしだのりひことシューベルツの項参照
- ^ 「未完成/シューベルツ」(EMIミュージック・ジャパン、2003年6月)収録曲リスト他参照
- ^ 和泉常寛の項参照
- ^ 「テレビ・ラジオ面」『朝日新聞【朝刊】』(朝日新聞社)、1971年3月26日、13面。2023年2月16日閲覧。
外部リンク[編集]
- シューベルツ.com シューベルツ.COMのホームページ [リンク切れ]
- シューベルツ.COM (pages/シューベルツCOM/607738002602380) - Facebook
- シューベルツ.COM公式 (@Shubeltscom) - X(旧Twitter) - 公式アカウント
- ON THE 12STRINGS(中尾淳によるおちゆうじライブ情報ブログ) [リンク切れ]
- 『おちゆうじとニューベルツ』 ニューベルツ公式応援サイト