輝け潮流
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「輝け潮流」 | ||||
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三井誠の楽曲 | ||||
リリース | 1994年10月21日[1](1991年発表) | |||
規格 | CDシングル | |||
レーベル | 日本コロムビア | |||
作詞者 | 伊藤アキラ | |||
作曲者 | 三井誠 | |||
収録順 | ||||
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﹁輝け潮流﹂︵かがやけちょうりゅう︶は、かつて日本プロ野球のパシフィック・リーグに所属していたオリックス・ブルーウェーブ︵現オリックス・バファローズ︶の球団応援歌[2]。1991年︵平成3年︶発表。作詞は伊藤アキラ、作曲と歌唱は三井誠。
解説[編集]
1990年︵平成2年︶、オリックス・ブレーブスは本拠地を阪急時代から使用していた西宮球場からグリーンスタジアム神戸に移転することを発表するとともに、チームの新しい愛称を募集、新愛称は選考の結果﹁ブルーウェーブ﹂に決定した。﹁ブルー﹂は神戸の海のイメージを、﹁ウェーブ﹂は球界に新しい潮流を作り出そう、という意味を込めたものであった[3]。その翌年、1991年︵平成3年︶より使用された応援歌が﹃輝け潮流﹄である。作詞には阪急時代の1976年︵昭和51年︶に応援歌﹃ああ!王者﹄﹃カッチャカッチャ阪急﹄の作詞を手がけた伊藤アキラを起用。オリックス・ブレーブス1年目の1989年︵平成元年︶に発表された児童合唱の応援歌﹃問題ないね。﹄のイメージから一転し、オーソドックスな応援歌スタイルの曲調となっている。 本曲はイチローがシーズン通算210安打を記録した1994年︵平成6年︶に日本コロムビアより発売されたイメージソングのシングル﹃リトル☆ネプチューン﹄[4]︵作詞:康珍化、作曲:小室和之[2]、編曲‥新川博、歌唱‥マリンウォーカーズ︶にカップリング曲として収録された[5]。 この曲は1999年までラッキーセブンでも演奏されていたが、2000年以降球団最終年の2004年までは﹁ビクトリーマーチ︵歌‥マリンサイド・ウォーカーズJR.︶﹂が演奏された。その後、球団合併によりオリックス・バファローズが発足した2005年以降は、いずれの曲も引き継がれず、MEGA STOPPERによる新たな球団歌﹁SKY﹂が演奏されている。脚注[編集]
- ^ 『日刊スポーツ』1994年9月30日付4面。
- ^ a b 『オリックス・ブルーウェーブ イヤーブック』各号、発行:オリックス野球クラブ株式会社 発売元:神戸新聞総合出版センター●﹃オリックス・ブルーウェーブ イヤーブック 1993﹄、103頁。ISBN 4-87521-173-2。 ●﹃オリックス・ブルーウェーブ イヤーブック 1994﹄、101頁。ISBN 4-87521-180-5。 ●﹃オリックス・ブルーウェーブ イヤーブック 1995﹄、120頁。ISBN 4-87521-192-9。 ●﹃オリックス・ブルーウェーブ イヤーブック 1996﹄、120頁。ISBN 4-87521-197-X。
- ^ 『朝日新聞』1990年10月5日付大阪朝刊31面。
- ^ この楽曲も先にあげた出典に応援歌として記載されている。この曲の地位については諸説あり、この曲を収録したCD(日本コロムビア、CODC-507)では『リトル☆ネプチューン』を「オリックス・ブルーウェーブ イメージソング」としている。また日刊スポーツ1994年9月30日付記事では『リトル・ネプチューン』を球団歌としている。また二宮清純は「独善的で恥さらし! 球団歌を何とかしろ」(『現代』1991年6月号掲載)では『リトル・ネプチューン』を球団歌として取り上げている。1999年までは試合開始前及びオリックス勝利時に『リトル・ネプチューン』を流していた。
- ^ “オリックス・ブルーウェーブ・イメージソング 〜 リトル・ネプチューン”. CDJournal.com (音楽出版社) 2012年10月18日閲覧。