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造宮省

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701708

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[1]殿殿[2][3]

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脚注[編集]

  1. ^ ただし、大伴手拍が初代宮内卿に任命された翌年1月に昇進した位階は八省の卿より格下の従四位下であったことから、当初は従四位下相当であったものが後に官位相当が上昇したものであると考えられている。
  2. ^ 平城京遷都の際には造宮省とは別に「造平城京司」が設置されている(『続日本紀』和銅元年9月戊子条)。
  3. ^ 例えば、当初は離宮として造営された紫香楽宮の場合、造営卿であった智努王、輔である高岡河内が兼任の形で造離宮司に任じられていた(『続日本紀』天平14年8月癸未条)が、天平17年に聖武天皇が紫香楽宮遷都の意向を示すと、造宮司が直接造営事業に関わることとなる。同様に平城宮の改作と保良宮造営が並行して行われた時も、人員の兼務があったにもかかわらず、前者は造宮省、後者は造離宮司が担当している(十川、2013年、P27-30)。

参考文献[編集]

  • 十川陽一「八世紀の宮都造営」(初出:『史学』74巻3号(2006年)/所収:十川『日本古代の国家と造営事業』(吉川弘文館、2013年) ISBN 978-4-642-04602-2