遠藤喜一
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遠藤 喜一 えんどう よしかず | |
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生誕 |
1891年8月8日 日本 東京 |
死没 |
1944年5月3日(52歳没) ホーランディア |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1912年 - 1944年 |
最終階級 | 海軍大将 |
墓所 | 青山霊園 |
遠藤 喜一︵えんどう よしかず、明治24年︵1891年︶8月8日 - 昭和19年︵1944年︶5月3日︶は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。
経歴[編集]
海軍少将遠藤喜太郎の長男として東京に生れる。学習院を経て、1911年に海軍兵学校︵39期︶を卒業し、1912年、海軍少尉に任官。1917年から翌年にかけて海軍大学校乙種学生、続いて海軍砲術学校高等科に学び優等で卒業。巡洋艦﹁常磐﹂分隊長、戦艦﹁朝日﹂分隊長、戦艦﹁長門﹂副砲長などを経て、1923年、海軍大学校甲種第21期を卒業した。 その後、呉海兵団分隊長、呉鎮守府参謀、海軍大学校教官、軽巡洋艦﹁長良﹂副長、ドイツ駐在武官、﹁鬼怒﹂艦長、侍従武官などを経て、1937年に海軍少将に昇進。さらに、ドイツ勤務を経て、横須賀鎮守府参謀長、総力戦研究所長等を歴任する。 太平洋戦争中は第1遣支艦隊司令長官を経て第九艦隊司令長官に就任。 しかし太平洋の制海権が米軍に奪われた1944年5月、第9艦隊司令部はニューギニアのホーランディアで玉砕。戦死後、海軍大将に昇進した。 妻、育子は陸軍大将内山小二郎の娘である。栄典[編集]
- 位階
- 勲章
参考文献[編集]
- 半藤一利他『歴代海軍大将全覧』中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、 2005年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
ギャラリー[編集]
脚注[編集]
- ^ 『官報』第4456号「叙任及辞令」1941年11月14日。