郷歌
表示
郷歌 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 향가 |
漢字: | 鄕歌 |
発音: | ヒャンガ |
日本語読み: | きょうか |
ローマ字: | hyangga |
郷歌︵きょうか、ヒャンガ︶は、新羅時代の朝鮮語の歌謡。25首が現存し、新羅の言語を知るための重要な資料である。
古い文献には詞脳[1][2]、詩悩[3]、思内[3]などとも書かれている。
概要[編集]
﹃三国史記﹄・﹃三国遺事﹄によれば、新羅の儒理尼師今の5年︵西暦23年︶に﹁兜率歌﹂という歌を作ったのが朝鮮語による歌のはじめであるというが、これはもちろん伝説にすぎず、兜率歌も伝わっていない。﹃三国史記﹄はまた、真聖女王の2年︵888年︶に﹃三代目﹄という郷歌の歌集が作られたと記しているが、この書は後世には伝わらなかった。 現存する郷歌はいずれも高麗時代に記されたもので、11世紀の﹃均如伝﹄に引用されている11首︵漢詩による翻訳つき︶と、13世紀の﹃三国遺事﹄に引用されている14首の、合計25首である。いずれも郷札と呼ばれる、万葉仮名風の複雑な漢字表記で記されている。 なお、高麗睿宗の作と伝える﹁悼二将歌﹂︵16世紀の﹃平山申氏高麗大師壮節公遺事﹄が引用︶を郷歌に含めることもある[4]。﹃花郎世記﹄にも郷歌一首を収めているが、この書物自身が後世の偽作とされる[5]。 現存する郷歌から判断すると、郷歌は4句、または4句を2つ重ねた8句、または8句のうしろに後句2句を加えた10句からなる[6]。後句の前には﹁阿邪・阿邪也・歎曰・落句・後句﹂などと記された語が置かれる。﹃均如伝﹄所収の歌はすべて10句からなる。研究[編集]
郷歌の伝統が高麗初期で絶えてしまったため、歌の大意はわかるものの、解読結果は研究者ごとに異なっている。﹁処容歌﹂︵﹃三国遺事﹄巻二︶は、その末尾2句を除く6句とほぼ同内容の歌が15世紀末に編纂された﹃楽学軌範﹄にハングルで記されているため[7]、ある程度確実に読むことができる。 小倉進平﹃郷歌及び吏読の研究﹄(1924年)は郷歌25首の本文を確定し、解読を行った。その後の研究は数多いが、代表的なものに梁柱東﹃朝鮮古歌研究﹄(1942年)、金完鎮﹃郷歌解読法研究﹄(1981年)などがある。出典[編集]
参考資料[編集]
●小倉進平﹃郷歌及び吏読の研究﹄京城帝国大学︿京城帝国大学法文学部紀要 第1﹀、1931年︵原著1924年︶。
●金東昭 著、栗田英二 訳﹃韓国語変遷史﹄明石書店、2003年。ISBN 4750317144。