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時衆研究者として[編集]
●宗派史観に囚われることなく、時宗を時衆として認知し、中世社会にどれほど浸透していたかを粘り強く解き明かしている。わかりやすい文章と論理構造で、初期の時衆研究を牽引し、晩年まで﹃一遍聖絵﹄を中心に現役で新稿を発表し続けた。
●貧困の時代を知る世代からみて、網野善彦らの賎民論にはリアリティがないとする。
●教務の合間を縫って、夜行列車で鳥取と各地を往復し、時宗寺院の大部分を直接訪問している。単身でガリ版刷りの﹃時衆研究﹄を隔月で発刊していた。
●観阿弥・世阿弥を史料通り﹁観阿﹂﹁世阿﹂とすべきと主張している。
●坂井衡平の研究を見いだし、世に知らしめた。
●いわゆる遊行派の創始を巡って、橘俊道、河野憲善と繰り広げた論争は研究史に遺る。論文中では河野を痛罵しながら、両者は友情で結ばれていた。
その他[編集]
●シベリア抑留経験から日本共産党支持を公言する一方、鎮魂歌としての軍歌を愛し、終戦の日には靖国神社参拝を欠かさない。
●相愛大学教授砂川博は鳥取大学での門下生。論文上で、過剰といえるほどに相互を賞賛しあう仲である。
●埼玉県の老人ホームで妻と過ごす。入退院を繰り返すものの、怒濤のごとき執筆の勢いは衰えることがなかった。2009年、死去。
主な著作[編集]
●﹃花伝書新解﹄︵明治書院、1958年︶
●﹃時衆文芸研究﹄︵風間書房、1967年︶
●﹃能の研究﹄︵桜楓社、1969年︶
●﹃一遍と時衆教団﹄︵角川書店、1975年︶
●﹃時衆と中世文学﹄︵東京美術、1975年︶
●﹃能と狂言﹄︵明治書院、1977年︶
●﹃民俗芸能と歌謡の研究﹄︵東京美術、1979年︶
●﹃風姿花伝詳解﹄︵明治書院、1983年︶
●﹃時衆教団の地方展開﹄︵東京美術、1983年︶
●﹃一遍語録を読む﹄梅谷繁樹との共著︵法蔵館・法蔵選書、1984年/法蔵館文庫、2022年︶
●﹃中世芸能題目立註解﹄︵明治書院、1986年︶
●﹃歌謡と民謡の研究﹄︵桜楓社、1987年︶
●﹃時衆文芸と一遍法語﹄︵東京美術、1987年︶
●﹃一遍上人ものがたり﹄︵東京美術、1988年︶東京美術選書
●﹃天正狂言本全注釈﹄︵風間書房、1989年︶
●﹃中世芸能と仏教﹄︵新典社、1991年︶研究叢書
●﹃能・狂言の新論考﹄︵新典社、1996年︶研究叢書
●﹃一遍の宗教とその変容﹄︵岩田書院、2000年︶
●﹃中世の癩者と差別﹄︵岩田書院、2003年︶
●﹃一編聖絵新考﹄︵岩田書院、2005年︶
参考文献[編集]
●﹃長野県人名鑑﹄信濃毎日新聞社、1974年