願得寺
願得寺 | |
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所在地 | 大阪府門真市御堂町8-23 |
位置 | 北緯34度44分33.272秒 東経135度35分46.982秒 / 北緯34.74257556度 東経135.59638389度 |
山号 | 光明山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 文明10年(1478年) |
開基 | 実悟 |
正式名 | 光明山願得寺 |
別称 | 古橋御坊 |
文化財 | 客間、書院、玄関、太鼓楼(国の登録有形文化財)本堂、鐘楼、山門(大阪府指定文化財) |
法人番号 | 9120005013778 |
願得寺︵がんとくじ︶は、大阪府門真市御堂町にある真宗大谷派の仏教寺院。山号は光明山。本尊は阿弥陀如来。
蓮如像
山門
もともとこの地には本願寺第8世法主蓮如が文明10年︵1478年︶真宗念仏布教の道場として﹁古橋御坊﹂が建てられたのが始まりと言われている。明応元年︵1492年︶に再建、護持された。
永正5年︵1513年︶に加賀国の﹁石川郡剣村清澤の坊に実悟住す︵中略︶実悟住持、清澤願得寺と号す﹂とある。この実悟とは蓮如の第23子、第10男で、清澤願得寺とは現在の石川県白山市鶴来町にあった蓮如の7男蓮悟が創建した寺である。その後享禄の錯乱で清澤願得寺も焼失し、永禄年間︵1558年 - 1570年︶に、実悟はこの地にあった﹁古橋御坊﹂を第10世法主証如より譲られ、寺号を﹁願得寺﹂とし開基となった。
天正5年︵1577年︶、正親町天皇より勅許院家となり、それ以来願得寺は﹁一家衆﹂として、安土桃山時代、江戸時代、明治時代初期までは中本山格、その後は五箇寺として、この地域の東本願寺の中心的な位置づけであったようである。尚﹁五箇寺﹂とは、真宗の伝承すべく家に定められた名目で、場合によっては御門主の代わりに式導師を務める役割だったが、旧弊除去を目指す教団改革で、特権制度の名残であるとして廃止された。
願得寺の石標
沿革[編集]
実悟僧都[編集]
この寺の開基実悟は、明応元年︵1492年︶生まれで、父は蓮如、母は畠山政栄の娘蓮能尼で、幼少の時に加賀本泉寺住持蓮悟の養子となったようで、22歳の時に清澤願得寺に移り住むことになる。その後、享禄の錯乱で清澤願得寺も焼失すると、しばらくの間は放浪していたようであるが、古橋の地に願得寺を復興させた。 かなりの知識人だったようで、文才があり主な代表作として ●日野一流系図 ●蓮如上人御一代書 ●本願寺作法之次第 等これ以外にも数多くの著書があった。 天正11年︵1583年︶92歳の時に願得寺で没した。蓮如上人の27人の子供の中でも最も長寿であった。建築物[編集]
国の登録有形文化財
●客間 - 明治期の建築。切妻造桟瓦葺き。
●書院 - 江戸時代末期の書院造り建築。入母屋造桟瓦葺きで四周に庇をめぐらす。昭和60年の屋根瓦の葺き替えで文化11年︵1814年︶と記された鬼瓦が見つかる。
●玄関 - 宝暦2年︵1752年︶頃の建築。唐破風造。
●太鼓楼 - 敷地東側を区切る南北に長い建物。北端に重層入母屋造の楼があり、南側に門口を開ける。
大阪府指定有形文化財
●本堂
入母屋造、桁行11間、梁間10間。寛文5年︵1665年︶に再建成就との記録あり。
●鐘楼
寛永時代︵1624 - 1644年︶の建立。梵鐘に元禄4年︵1691年︶の銘がある。
●山門
四脚門。元禄6年︵1693年︶の建立。
境内にそびえる樟の木/門真市保存樹林
●電車でのアクセス
●京阪本線 大和田駅から西へ徒歩約7分
●京阪本線 古川橋駅から東へ徒歩約7分
●車でのアクセス
●府道158号守口門真線 古川橋付近
※周辺に駐車場無し