風姿花伝

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姿姿21

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KadenshoFlowering Spirit

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姿

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稽古は強かれ、情識はなかれとなり。
稽古はたくさんして、すなおでありなさい。

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生涯にかけて能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。
生涯、あきらめないという以外に、稽古はない。あきらめれば、そのまま能は止まる。

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物まねの品々、筆に尽くしがたし。さりながら、この道の肝要なれば、その品々を、いかにもいかにもたしなむべし。
物まねの種類は、書き尽くせない。しかしこの道の根本なので、どこまでも研究せよ。

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一切の事に序・破・急あれば、申楽もこれ同じ。能の風情をもて定むべし。
すべての事に序・破・急があり、申楽も同じだ。曲の内容によって決めなさい。

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申楽、神代の始まりといふは、天照大神、天の岩戸にこもりたまひし時、天下常闇になりしに、八百万の神達、天香具山に集まり、大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男を始めたまふ。

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この芸、その風を継ぐといへども、自力より出づる振舞あれば、語にも及びがたし。その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名づく。
この芸には、伝統もあるが、自分で工夫する余地もあり、言葉に尽くせない。伝統を背景に、心から心に伝える花なので、風姿花伝と名づける。

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よき能と申すは、本説正しく、めづらしき風体にて、詰めどころありて、かかり幽玄ならんを、第一とすべし。
よい能というのは、題材が由緒正しく、新鮮な工夫をし、山場があって、幽玄であるのが、第一である。

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その時々にありし花のままにて、種なければ、手折れる枝の花のごとし。種あらば、年々時々のころに、などか逢はざらん。ただ返す返す、初心忘るべからず。
花を咲かせても、種がなければ、手折った枝の花のように、二度と咲かない。種があれば、年々に役立つ。何度でも言うが、初心を忘れるべからず。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。
秘密だから花であり、秘密でなければ花ではない。この違いを知る事が秘訣だ。

主な校注・訳解説[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 元次とは何者か謎とされてきたが、野上豊一郎の推理[2]以後、世阿弥の嫡男観世元雅のこととされる。
  2. ^ まぎらわしいが、観世宗節筆巻子本という写本も観世文庫にあり、「風姿花伝」校訂時の、4番目の参照本とされる事がある。「巻子本」とも呼ばれる。
  3. ^ 金春本『風姿花伝』の自筆説は現在は否定されている。

出典[編集]



(一)^ 

(二)^    1948 -  2012姿 :  

(三)^    42 - 

(四)^ 49200478-89doi:10.24604/chusei.49_78 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ (同書のオーディオブック/電子書籍版)